多忙でなかなか紹介できずにいた京都新聞のスクラップを遅まきながら紹介します。

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字が小さくて読みにくい人のために、左下に載っている全面解決をめざす全国連絡会共同代表大橋由香子さんの文章を書き出します。

見出しは「生きづらさ 強いた国策」

……国家の人口管理政策は、女性をターゲットにしてきた。戦前は「産めよ増やせよ」と、多産を求められた。敗戦後は引き揚げや復員による人口増加と食糧難を背景に、国家にとって「役に立つ」子どもを、人口を調節するために「少なく」産む役割を担わされた。こうした背景から1949年、「不良な子孫の出生防止」を掲げた旧優生保護法が制定された。

旧法問題を考える時に重要なのは、刑法の堕胎罪の存在だ。女性に産むかどうかの自己決定権を認めず、家父長制の価値観を維持するために母になることを求めた規定といえる。

旧法は堕胎罪の例外として「経済的理由」などによる中絶を認めた。非合法な中絶には危険が伴い、命の危機や逮捕の恐怖にさらされていた女性たちにとって、旧法は救いの意味があった。

一方、「不良な子孫の出生防止」という目的によって、障害のある子どもを産んだ女性を追い詰めた。「役に立つ子を産めなかった母親」というレッテルを貼り、生きづらさを強いたのではないか。

旧法が母体保護法になっても堕胎罪は110年以上存在し、国家の人口管理政策は続いている。例えば少子化対策の名の下、女性は産むべきだという圧力が高まらないよう注意が必要だ。産むか産まないかを自分で決められる社会。そして、産んでも、産まなくても、自分を肯定できる社会。そうした社会の実現を目指したい。最高裁大法廷の弁論で思いを訴えた宮城県の原告の女性に出会って27年になる。不妊手術だけでなく、産まない女性、子どものいない人を差別する世の中にも、原告たちは苦しめられてきた。「不良」と勝手に決めつけて心身を傷つけた国の責任を最高裁は公正に判断し、被害者の名誉を回復してほしい。……

「産んでも、産まなくても、自分を肯定できる社会」、そうありたいと頷きながら読みました。

20240625京都新聞
これは6月25日の京都新聞記事。国賠訴訟の原告、北三郎さん(活動名)や小島喜久夫さん、鈴木由美さん、飯塚淳子さん(活動名)、小林寶二さん、野村花子さんと太郎さん(二人とも活動名)の体験が紹介されています。「子どもができていれば人生は変わっていたと思う。今より幸せかもしれないし、不幸かもしれない。それでも幸せになるか不幸になるかは自分で決めること。自分で自分の人生を決めたかった」という小島さんの訴えが心を打ちます。花子さんは「優生保護法は障害者差別です」と大法廷の裁判官に訴えました。

願いは「障害があっても一人の人間として当たり前に生きられる社会に」。国には、杓子定規な「除斥期間」ではなく、それぞれの人が重ねてきた“無念な日々の期間”に思いを馳せて、「人生被害」を償う補償と謝罪を求めたいです。明日は、良い判決がくだされることを願っています。