11月12日予定通り「共に生きる会」第5回目の事業を実施しました。タイトルは「誰もがその人らしく生きられる社会をめざして~ドキュメンタリー映画『凱歌』から人の尊厳を考える~」。
予め予定していたスケジュールを急遽変更して、最初に副代表の谷進一監督が撮影中の『沈黙の50年~国から子どもをつくってはいけないと言われた人たち~』の予告編を上映しました。YouTubeの動画リンクを貼りましたので、ぜひクリックしてご覧下さい。
当初は丹波国際映画祭で谷監督の前作『ヒゲの校長』が上映されるのと重なったので、谷さん不在でスケジュールを考えていたのですが、谷さんが途中までいて下さることが当日朝になって判明。急遽順番を入れ替え、谷監督自ら新作への思いと、ご支援のお願いを直接参加者の方にお話し頂きました。なお、支援窓口については下掲画像の上でクリックして下さると拡大してご覧になれます。宜しくお願いいたします。
嬉しいことに11日、丹波国際映画祭で『ヒゲの校長』が作品賞を受賞しました。この作品は、今から100年ほど前、手話が「手まね」として否定され、口話が押し進められた時代にあって、子どもたちにあった教育を、と手話を守ることに奔走した実在の大阪市立盲唖学校髙橋 潔校長を主人公にしたお話です。髙橋さんは、戦後の全日本聾唖連盟創設に尽力した人物でもあります。
『ヒゲの校長』で協力されたお一人で『沈黙の50年』製作委員会事務局長をされているのが、上掲パンフレット左ページに載っている大矢 暹さん(ひょうご聴覚障害者福祉事業協会理事長)です。今現在38人の優生保護法による被害者が国家賠償請求訴訟をしていますが、『沈黙の50年』に登場して、優生保護法の被害体験を証言してくださる小林寶二さん(91歳)も原告の一人。残念ながら共に聾者で原告として闘っておられた奥様の喜美子さんは昨年お亡くなりになりました。二人はこの問題で聴覚障害者による国賠訴訟の最初の原告となりました。
二人は子どもに囲まれた生活を楽しみにしていましたが、妊娠が分かったとたん親に病院に連れていかれ、中絶手術だけでなく不妊手術も受けさせられていたのです。このことが分かったのは58年後の2018年1月宮城県仙台裁判の報道がきっかけでした。「今までは親が悪いと思っていたが、国にそんな法律があったのだ」と知って大矢さんに相談したのが始まりでした。高裁では小林さんが勝ちましたが、国が控訴したので最高裁での裁判が控えています。
ちなみに「優生保護法」の手話ができたのも2018年1月の裁判を受けてのことで、全国手話研修センター日本手話研究所(京都市右京区)が作りました。どの裁判も不法行為から20年が過ぎると賠償を求める権利が消滅する「除斥期間」が高い壁になっていますが、そもそも手話がなかったのですから、それ以前の聾者はこの法律のことを知る由もなかったのです。小林さんの証言については、NHKハートネットTVで知ることが出来ます。
当日講演して下さった京都新聞記者の森 敏之さんがたくさんの資料を用意して下さったのですが、その中の11月1日時点での“全国各地の裁判状況”をみると、手術時当時に障害がない原告が6人、知的障害や統合失調症、視覚障害がある人が10人、脳性麻痺が2人、聴覚障害が17人、変形性関節症1人、非公・不明が2人。障害がない人が6人もおられるのにびっくりします。
講演に先立ち、ハンセン病隔離政策だけでなく強制不妊手術の問題も取り上げて、国立療養所多磨全生園に入所している元ハンセン病患者の皆さんを9年間密着取材した坂口香津美監督のドキュメンタリー映画『凱歌』を上映しました。当初は強制不妊手術問題をなるべく広く一般の人に知って貰いたい、とりわけ京都府のこの問題解決に関係ある部門で仕事をされている方たちにこそ見聞して貰いたいという思いが強くて、手話通訳者や音訳に対する配慮を欠いていて慌てました。
幸いにして、聾の参加希望者の方が聴言センターに手話通訳士派遣制度を利用して申請して下さいましたので、当日はお二人の手話通訳士さんが講演だけでなく、映画上映中もずっと手話通訳して下さり大いに助かりました。事前に映画の採録シナリオを参加者にはお渡しして、映画の内容はご理解いただいたとは思うのですが、同時に手話通訳して頂くとより理解が出来ます。催し全体を通して彼女は「知らなかったことばかりで、大変勉強になった」と言って下さり、それを聞いて私どもも大変嬉しく思いました。
こちらのYouTubeで、森 敏之記者による講演「京都府内における優生保護法の被害実態と現在の課題」の様子を公開しています。手話勉強中の参加者から「手話通訳士さんの手話は、大変勉強になった」と賛辞の言葉を頂戴していますし、いろんな方にも参考にして頂きたいと思い、なるべく資料の文字情報と手話通訳の様子もフレーム内に収めました。
なお当日は、映画に登場する山内きみ江さん(1934年生まれ)のことを書いた本『きみ江さん ハンセン病を生きて』も紹介しました。不自由な体のため健常者の何倍も時間がかかりますが「できるまでやれば、かならずできる」と何事にもめげずに取り組む姿勢、「知る」ことが差別や偏見を取りのぞく第一歩だと考えて、この映画のように体験を語ったり、園内保育園児たちにありのままを見せて触れ合い、そうした日々を「生きるって、楽しくって」と語るきみ江さんの姿勢に感動し、だからこそ映画のタイトルが『凱歌』なのだと思うと話しました。
10分間の休憩中、“優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会(略して、優生連)”が呼びかけている最高裁判所宛て署名への協力をお願いしました。オンライン署名はこちらからもできます。また、京都府の京都学・歴彩館が保存している強制不妊問題に関する資料のいくつかをコピーしてきたファイルも見て貰いました。森さんの講演記録動画を配信することで、広くこの問題への理解を深め、少しでも早く全面解決に繋がれば開催した意味もありましょう。
一番良いのは京都府知事さんに見て貰うことです。府内の被害者は152名おられることが分かっていますが、現状では13人分の記録しか残っていません(8.5%)。ぜひ府知事の政治判断で優生保護法下(1948-1996年)で行われた強制不妊手術に関する資料発掘の調査を進めて頂きたいです。強制不妊手術は、各都道府県におかれた「優生保護審査会」が決定していて、その委員長は府職員の衛生部長が勤めていましたから、府はこの問題の当事者なのです。
2018年から各地で始まった裁判で「重大な人権侵害」「憲法違反」と認定されていますから、京都府は第三者機関に依頼してこの問題を検証して説明する責任があります。京都学・歴彩館所蔵資料の中に、昭和30年1月25日付け京都府衛生部長(優生保護審査会委員長)が病院長に宛てた文章があり、「同法の趣旨をご諒承の上優生手術の実施方について格段の御協力をお願い申し上げます。なお参考として大阪府においては各病院において年間二百件以上の優生手術が行われ又兵庫県においても相当な優生手術が行われている現状であり 大体において精神病院入院の患者のうち一割程度は優生手術の対象になると推定されます」と書いています。この文章からも府が積極的に関与していたことが分かります。
その翌年の昭和31(1956)年に北海道衛生部と北海道優性保護審査会が出した「優生手術(強制)千件突破を顧みて」(同じく京都学・歴彩館所蔵)の文章には「昭和30年12月で回(優生保護審査会)を重ねること59回、その数は1012件に及んだ。件数においては全国総数の約5分の1を占め他府県に比し群を抜き全国第1位の実績を収めている」と書いています。先の京都府衛生部長の文言とあわせて読むと、国が各都道府県にその数を競わせているような印象を受けます。
先日2021年3月21日にサンテレビが放送した報道番組「生まれ、生きる~不幸と呼ばれた子どもたち~」の録画を見ました。1966年当時の高井元彦兵庫県知事が発案して始めた「不幸なこどもの生まれない運動」は知事自ら県内各地で必要性を説き歩きました。1974年まで継続された強制不妊手術について県に残る「劣化予防作業簿」には少なくとも470人が手術を受けたことが載っているそうです。この簿冊の名称にゾッとします。
マスコミの報道姿勢についても森さんが言及されていましたので、それについても書きます。森さんが2016年に調査した段階では、府内で優生保護法に基づく強制不妊手術の被害者が少なくとも89人おられて、その内の一人は知的障害とてんかんのある12歳の少女でした。そのことを同年6月6日付け京都新聞で報じました。1面で京都の被害実態と解説を掲載し、社会面では、2016年5月に知り合った飯塚淳子さん(仮名)の証言を掲載。飯塚さんは1997年に被害を告白し、1997年以降集会で証言を続けておられます。彼女がいなければこの問題はうやむやにされたままだったかもしれません。飯塚さんの証言もハートネットTVでご覧になれます。
解説記事の書き出しは「強制的に人間の生殖機能を奪い、子孫を根絶やしにするむごたらしい手術が、京都でも行われていた。戦後の暗部であり、偏見と差別で人生を奪われた犠牲者は声を上げられないまま、今もどこかで暮らしている。ハンセン病患者への断種や強制隔離について国は2001年、人権侵害と差別助長の責任を認め、謝罪している。旧優生保護法による強制不妊手術の実態調査を急ぎ、救済すべきだ」。この文言は今もそのまま使えます。
2016年以前の京都新聞記事をデータベースで検索しても、明白な人権侵害なのに京都や滋賀での被害件数はもとより、当時の各都道府県に残っている優生保護審査会文書や手術報告書に注目した記事は1本もなかったそうです。優生学を研究されている立命館大学副学長の松原洋子先生が、『現代思想』(2018年6月号)で書かれた文章に「公文書館や県庁などの資料を用いた記事では、筆者が知る限り、2016年6月6日『京都新聞』朝刊に掲載された『旧優生保護法 1953~75年 府内89人不妊手術強制 疾患や障害理由に』が最も早い」とあります。マスコミが事の重大さに気付いたのは、飯塚さんの報道で知った佐藤由美さん(仮名)が提訴した2018年1月仙台裁判からなのでしょう。
森記者の取材に匿名で応じた府内在住で20歳代で手術を受けた聾の女性は、結婚2か月前に両親から言われて産婦人科に連れていかれ、医師からの説明もないままに手術が行われました。何が行われているのかわからなかったそうですが、当時は「聾者は聞こえる人に可愛がられなさい」と教育を受けていたそうですし、ご両親は手話ができず、当時は手話通訳者もいなかったこともあり「元気なのにどうして?」と疑問に思いつつも、十分なコミュニケーションが取れなかったと語っておられます。先に書いた小林寶二さんも聾学校で「聞こえる人に逆らってはいけない」という教育を受けたと話しておられました。そうした時代背景もこの問題に影を落としています。
この女性は「手術を受けたことが恥ずかしい」との思いが今も消えず、「仕方がない」と諦めて、裁判はせずに一時金(人生を台無しにされたことに見合わない、僅か320万円)を受け取られました。府内で被害者であると認定され、一時金を受け取った人は今年8月末時点で14人(9%)にとどまっています。全国でも1061人で4%に過ぎません。この申請受け付け期限が来年4月に迫っています。
2018年の裁判からようやく国が動き出し、その年7~9月に厚生労働省が都道府県・政令市対象に調査を実施しました。「強制不妊手術の記録が残っていますか?残っていれば何人分ありますか?」と問いかけました。それに対し、府内の医療機関・福祉施設が回答したのは僅か4%のみだったそうです‼ 設問への回答も「ある可能性」「ない可能性」も用意されていて、今一つ本気度が感じられません。もっとしっかり調査に取り組んで貰うようにすれば、新たな資料が見つかるでしょう。それを要望したいです。なお、国会初の調査報告書が今年6月に公表され、こちらで読むことが出来ます。
貼り付けた写真の補足説明をすると、国は当時、手術は公益、手続きは慎重、手術は容易で危険を伴うものではない、という3点を理由に強制不妊手術をしていたことが京都府に残っている資料からわかっています。しかし、実際は、手術は違法だったという司法判断が相次いでいますし、優生保護審査会を開かないまま断種を決めていた事例や優生保護法から外れた睾丸摘出や子宮摘出が行われていた事例があるなどずさんな審査があったことが判明しています。
更に、手術の後遺症で生理が来るたびに激痛で動けなくなり仕事を休まざるをえなかったり、仕事を休むことで気まずくなって職を転々とせざるを得なかった人、子どもが生まれないという理由で夫が離婚届を記入することなく家を出て行ったきり、音信が途絶えて今も苦しんでいる人がいるなど、手術に起因する様々な被害があります。こうした状況を弁護団は“人生被害”と呼んでいるそうですが、全くその通りです。健康だった体に理不尽にメスを入れられた結果を被害者たちは一生背負っているのです。
講演で初めて知りましたが、昭和32(1957)年6月時点の府「優生保護審査会」は、委員長が先ほどの府衛生部長、委員に京都大学教授で精神科部長が2人、京都府立医科大教授で精神科部長、京都地検検事、京都簡易裁判所判事、京都産婦人科医会会長、京都府民生委員が2人の9名(男性8人と女性1人)で構成していました。現状では民生委員が審査会メンバーだったことを隠して黒塗りしていて、人の人生を奪う重大な決定をしておきながら、それが誰かを知ることが出来ないのだそうです。神奈川県ではほとんど公開しているのと大違いです。なぜ、京都府はこの問題に熱心に取り組まないのでしょうか?
会場からの質問に「京都府が調べてくれないことについて、私たちができることはありますか?」というのがありました。問いに対し、森さんは「知事が決断しない限り、何も変わらないように思う」という趣旨の答えをされましたが、「核心を突くご質問だったと思い、一晩考えて」メールを送ってくださいました。以下に。
……各都道府県が本人同意のない強制不妊手術を決定していた当事者である以上、各都道府県は説明責任を果たすため検証し公表するのが当然です。ところが、京都府を含めて他の都道府県も検証に乗り出そうとしていません。おそらく優生保護法をつくった国の責任だ、自分たちは関係ないと思っているのだと思います。知事や都道府県の担当者は、そこを認識できていないからこそ、自分たちには関係ないと考えているのでしょう。「被害者」対「国」の構図で報道しがちなマスコミの責任もあると思います。おかしいと考える人が増えていけば、行政も考えを改めるでしょうし、兵庫や大阪では、障害者団体が中心になって被害者の記録を徹底的に調査せよと行政に申し入れを行っています。そのようにお応えすればよかった、と考えております。……
「おかしいと考える人」が増えるよう是非、公開した講演記録映像をご覧頂けるようお知り合いにもご紹介ください‼
マスコミの姿勢に関しては、他にもお話しくださいました。今年6月1日の仙台高裁で、飯塚さんと佐藤さんの裁判がありました。原告勝訴が続いていたこともあり、この裁判でも原告が勝訴すれば一気に政治解決に繋がるのではないかという機運が関係者の間で高まっていて、多くのマスコミも現地に駆けつけました。が、結果は初の高裁敗訴。
原告勝訴を見込んでいた弁護団は、もともと2日に国会議員に早期の政治決着を働きかける予定を入れていたこともあり、当初の予定通り弁護団と原告、支援者は国会議員会館で議員回りをして、早期政治決着を呼びかけ、その後で記者会見を開きました。各地の弁護団や支援者が見守る中、敗訴になって落ち込んでいる原告2人と東京の原告1人が前に並びましたが、会見場にいた記者は森さんと仙台からやってきた通信社記者の2人だけだったそうです。「原告の方も、マスコミの関心が一夜にして引いていくように感じて辛かったのではないか」と森さん。
ハンセン病訴訟に取り組んだ大分の徳田靖之弁護士は、ハンセン病訴訟が1つの違憲判決で政治決着したのに対し、優生保護訴訟は多くの違憲判決が出ているのに裁判がなお続いている背景に、マスコミ報道の少なさを挙げておられるそうです。報道が少ないから世論を高めることにならないのか、世間の人が関心を持っていないからマスコミが書かないのか、どっちなのでしょう?私もSNSで優生保護法問題について書いても、他のことと比べてみても、反応がほとんどなく、関心の低さを感じます。でも、産むか、産まないかは、自分が決めるものであって、他人が、国が決めることではありません。ましてや数を競うように、「騙しても良いから不妊手術を」という姿勢は間違っています。だからこそ、この問題の被害者の人たちを早く救済できればと思い、自分にできることで訴えています。
「もう、過去のことだから忘れたい。仕方のないことだったのだから、そっとしておいて欲しい」と考えておられる方もいるでしょう。「知られたくない」と思っている人もおられるでしょうし、自分が被害者だと知らないでいる人もおられるでしょう。いろんな考え、生き方がありますから、一概には言えませんが、それはそうとして、国には人権を無視した政策を長く取り続けてきたことに対して謝罪することが求められ、優生思想を無くす取り組みをしっかりと推し進めて貰いたいです。
誰もがその人らしく生きていける世の中になれば良いなぁと願いながら、11月12日の振り返りとします。