今朝の京都新聞に、11月12日に講演をしていただく京都新聞の森 敏之記者の記事が大きく載っていました。2021年第2回事業でドキュメンタリー映画『ここにおるんじゃけぇ』を上映した時から、ずっと強制不妊問題について国の不条理を訴えてきましたが、改めて記事を読みながら、本当に国のやり方は酷いと思います。
『ここにおるんじゃけぇ』の主人公、佐々木千津子さんは、子どもの頃の発熱が原因で脳性麻痺になり、就学免除になって学校で学ぶことが出来ないまま思春期を迎えました。自分の存在で姉の結婚に障りがあるのではないかと考えて、家を出ることを決めましたが、施設に入所するにするに際し「生理の始末を自分できないと難しい」と聞いたお母さまの考えもあって、広島の公立病院で「痛くもなんともない手術」を受けましたが、それがコバルト照射によるもので、終生その後遺症で苦しまれました。
彼女が広島市長に対し起こした申し立てが、2018年5月に仙台訴訟を起こした飯塚淳子さん(仮名)に引き継がれ、同じような体験をして苦しまれている全国各地の被害者らが国家賠償訴訟を起こすに至っています。4月30日に兵庫国賠訴訟原告団の一人、小林宝二さんの話を伺いましたが、小林さんたちもこの「仙台訴訟で優生保護法のことを知った」と言っておられました。佐々木さんの話を映画で知って、「なぜ、原爆が投下され、多大な犠牲をもたらしたヒロシマの公立病院で、こうした酷い方法での不妊手術が行われていたのか」が疑問でしたが、森さんの記事で一つ疑問が解けたような気がします。
1949年、京都大学医学部から京都府経由でなされた厚生省(当時)への問い合わせに対して回答した公文書が府の施設で保管されているそうです。その問い合わせた内容というのは、優生保護法で禁止されている「レントゲン照射」についてで、厚生省は「学術研究目的」で認めていたというのです。
ここで、旧京都帝国大学医学部出身者たちの「良心」への疑問を大きく持ちます。
日本が傀儡国家「満洲国」を建国し、そこに設置した陸軍731部隊(正式には関東軍防疫給水部本部)で捕虜を「丸太」と読んで酷い人体実験をしたことは広く知られていますが、創設したのは京都帝大医学部卒の石井四郎軍医中将でした。
昨年12月5日付けで大きく京都新聞と熊本日日新聞が報じた戦中に熊本のハンセン病療養所・菊池恵楓園の第7陸軍技術研究所研究嘱託だった宮崎松記園長が作成した「効果試験報告(概報)第1報」のことも思い出します。宮崎園長も旧京都帝国大学医学部出身でした。
ハンセン病は感染性が低く、海外では治療薬「プロピン」が開発されていたにも関わらず、日本は戦後も長く隔離政策を続けてきましたが、宮崎園長は戦後のハンセン病隔離政策を主導した人物です。「虹波」投与後に亡くなった人の解剖をした熊本医科大学鈴江懐教授、第7陸軍技術研究所研究嘱託だった同大教波多野輔久教授も旧京都帝国大学医学部出身でした。
菊池恵楓園の入所者に対する人体実験に用いられていたのは写真の「感光剤」を合成した薬剤「虹波」。写真やフィルムの感光剤には銀が用いられていますので、その被害もどうだったのか気になります。人体実験には6歳から67歳の入所者370人に投与され、9人が亡くなっていると報告書に記載されているそうです。
6月19日公開された国会報告書によると20歳未満の強制不妊手術件数は1955年以降だけでも全国で2917人あり、確認された最年少は9歳。一時金支給請求書の中には被害時期を「6歳頃」と記入した事例もあるそうです。まだ小さな子どもに対しても国を挙げて非人道的な手術が実施されていました。「レントゲン照射」「虹波」「不妊手術」等、人の尊厳を無視し、「丸太」と読んで平気な旧京都帝国大学医学部出身者たちの研究優先の姿勢は本当におぞましいです。