2023年06月

2023年6月24日京都新聞森敏之記者の記事
今朝の京都新聞に、11月12日に講演をしていただく京都新聞の森 敏之記者の記事が大きく載っていました。2021年第2回事業でドキュメンタリー映画『ここにおるんじゃけぇ』を上映した時から、ずっと強制不妊問題について国の不条理を訴えてきましたが、改めて記事を読みながら、本当に国のやり方は酷いと思います。

『ここにおるんじゃけぇ』の主人公、佐々木千津子さんは、子どもの頃の発熱が原因で脳性麻痺になり、就学免除になって学校で学ぶことが出来ないまま思春期を迎えました。自分の存在で姉の結婚に障りがあるのではないかと考えて、家を出ることを決めましたが、施設に入所するにするに際し「生理の始末を自分できないと難しい」と聞いたお母さまの考えもあって、広島の公立病院で「痛くもなんともない手術」を受けましたが、それがコバルト照射によるもので、終生その後遺症で苦しまれました。

彼女が広島市長に対し起こした申し立てが、2018年5月に仙台訴訟を起こした飯塚淳子さん(仮名)に引き継がれ、同じような体験をして苦しまれている全国各地の被害者らが国家賠償訴訟を起こすに至っています。4月30日に兵庫国賠訴訟原告団の一人、小林宝二さんの話を伺いましたが、小林さんたちもこの「仙台訴訟で優生保護法のことを知った」と言っておられました。佐々木さんの話を映画で知って、「なぜ、原爆が投下され、多大な犠牲をもたらしたヒロシマの公立病院で、こうした酷い方法での不妊手術が行われていたのか」が疑問でしたが、森さんの記事で一つ疑問が解けたような気がします。

1949年、京都大学医学部から京都府経由でなされた厚生省(当時)への問い合わせに対して回答した公文書が府の施設で保管されているそうです。その問い合わせた内容というのは、優生保護法で禁止されている「レントゲン照射」についてで、厚生省は「学術研究目的」で認めていたというのです。

ここで、旧京都帝国大学医学部出身者たちの「良心」への疑問を大きく持ちます。

日本が傀儡国家「満洲国」を建国し、そこに設置した陸軍731部隊(正式には関東軍防疫給水部本部)で捕虜を「丸太」と読んで酷い人体実験をしたことは広く知られていますが、創設したのは京都帝大医学部卒の石井四郎軍医中将でした。

昨年12月5日付けで大きく京都新聞と熊本日日新聞が報じた戦中に熊本のハンセン病療養所・菊池恵楓園の第7陸軍技術研究所研究嘱託だった宮崎松記園長が作成した「効果試験報告(概報)第1報」のことも思い出します。宮崎園長も旧京都帝国大学医学部出身でした。

ハンセン病は感染性が低く、海外では治療薬「プロピン」が開発されていたにも関わらず、日本は戦後も長く隔離政策を続けてきましたが、宮崎園長は戦後のハンセン病隔離政策を主導した人物です。「虹波」投与後に亡くなった人の解剖をした熊本医科大学鈴江懐教授、第7陸軍技術研究所研究嘱託だった同大教波多野輔久教授も旧京都帝国大学医学部出身でした。

菊池恵楓園の入所者に対する人体実験に用いられていたのは写真の「感光剤」を合成した薬剤「虹波」。写真やフィルムの感光剤には銀が用いられていますので、その被害もどうだったのか気になります。人体実験には6歳から67歳の入所者370人に投与され、9人が亡くなっていると報告書に記載されているそうです。

6月19日公開された国会報告書によると20歳未満の強制不妊手術件数は1955年以降だけでも全国で2917人あり、確認された最年少は9歳。一時金支給請求書の中には被害時期を「6歳頃」と記入した事例もあるそうです。まだ小さな子どもに対しても国を挙げて非人道的な手術が実施されていました。「レントゲン照射」「虹波」「不妊手術」等、人の尊厳を無視し、「丸太」と読んで平気な旧京都帝国大学医学部出身者たちの研究優先の姿勢は本当におぞましいです。


2023年6月21日京都新聞夕刊
6月21日付け京都新聞夕刊社会面(7面)と対向面(6面)が、いずれも知的障害者の妊娠をめぐる話題で並んでいたのを興味深く思いました。知的障害者を取り巻く環境の違いで、正反対な対応、結果になっています。

右の女性は軽度の知的障害と注意欠陥多動性障害と、自閉スペクトラム症があるのだそうです。こぼれる笑顔からは想像もできませんね。健常者のご主人との間に可愛らしい男の子が誕生し、その子を保育所に預けてスーパーでも障害者雇用枠で勤務する共働き夫婦。保育士のお母さんが会うのは週に一回程度だけだそうです。こうした育児を可能にしているのは福祉の支援で、お母様は「仮に障害があっても、人はいろいろ。みんな苦手なことはある。助けを受ければ自立できる。そういう気持ちでいればいい」と話しておられます。

一方の7面は、昨年12月に大きく報道された北海道の社会福祉法人「あすなろ福祉会」が運営するグループホームの理事長が、北海道から改善指導をうけた記事。25年ぐらい前から始まったというこのグループホームでは、知的障害者らが結婚や同棲を希望した時に、不妊手術の処置を受けたカップルがこれまで10組もいたことが明らかになりました。12月の報道を受けて写真の理事長は「子どもがいじめられる可能性がある。親の責任も果たせない。起こり得ることを話して(不妊手術を)選択してもらう。(出産を希望した場合は)うちは支援できない。できないことは、はっきり言う」と話しました。

そして改善指導を受けたこの日も「子どもが成長して、親があすなろの利用者だと言われたときのメンタルケアをどうするのか。心のダメージは責任を取れません」と発言。社会福祉を担っている団体の理事長の頭に、今も優生思想があると言わざるを得ません。

右のページの新米ママさんは「子育ては楽しい。幸せ」と笑顔で話しています。

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夕刊を取っていない家庭が増えているので、朝刊で再度、より詳しく掲載。北海道の入居者実態調査では、約31%の人が「結婚や同居をしたいと思った」と答え、24%の人が「子どもが欲しいと思った」と答えています。障害があろうがなかろうが、人として普通のことです。

当該理事長には古い固定観念を捨てて、もっと柔軟に周辺の支援機関と連携し、福祉制度を活用しながら、できるだけ本人たちの意向を尊重したサービスを提供していって欲しいと願います。


そして、今日はもう一つ目に留まった記事がありました。

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京都で起きたALS患者嘱託殺人事件は、社会に大きな問いを投げかけました。この記事終わり近くに、「生死の二者択一ではなく、生き延びる手段が社会にあるかどうか。岡部さんの尊厳をめぐる思考は、難病患者に限らず生きづらさを抱える人たちが宛先だ」とあります。問われているのは、社会のあり方です。

【6月23日追記】
京都新聞夕刊連載「育む ともに~知的障害者の結婚・出産」第2部「揺れる家族」が終わったので、2回分まとめて紹介します。
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京都新聞2023年6月20日1面
京都新聞2023年6月20日付け1面

京都新聞2023年6月20日4面
そして、4面

京都新聞2023年6月20日社会面
社会面の記事です。本当は他紙と論調や扱いなど比較してみればいいのでしょうが、余裕がないのでこれまで通り、京都新聞の記事を載せました。

記事を読んで早速、衆議院ホームページを初めて検索してみました。膨大な量の調査報告書が載っています。担当された人々のご尽力に労いの言葉を送ります。けれども、社会面で弁護団共同代表の新里さんが「総括や検証がない」と仰ってる通りですので、先ずは第1弾として公表し、今後も継続して調査をしていただき、随時公開していって欲しいと願います。

こんなに非人道的なことを国が率先して旗を振っていたことが明らかになった以上、一刻も早く政治的解決をして欲しいです。

【6月21日付け】京都新聞社説
2023年6月21日付け社説
「人間の命に優劣をつける優生思想や、少数者の人権をないがしろにする考えは深くはびこり、再生産されている感すらある」の意見に、残念ながら同じ感想を持ちます。こうしたことが繰り返されることがないように、「自分には関係ない」.と思わず、一人一人がこの問題を自分ごととして受け止め深く考える必要があると思います。


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日々のことに追われ、なかなか記事を追って紹介できずにいますが、今年11月12日に「共に生きる会」で、この問題をテーマに第5回事業をすることにしましたので、目に留まった分のみでも掲載できればと。

上掲記事が報道する5月15日の全国被害者弁護団の会見は、高裁での原告側勝訴が続いている中でしたが、勢いに水を差す判決がその後相次いでいます。

2023年6月2日京都新聞
この問題について裁判を通して最初に声を挙げた仙台市の飯塚淳子さん(仮名)ともう一人の女性の高裁判決が6月1日にあり、二人が「旧優生保護法下で不妊手術を強いられたのは憲法違反だ」と求めた損害賠償請求は、一審仙台判決の通り、原告側控訴を棄却する結果になりました。

高裁判決は昨年2月以降、国に賠償を求める判決が4件続き、この裁判も同様にと期待していただけに大きく失望する結果です。ここでも問題になったのは「除斥期間」でした。不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅するとされますが、当時被害者らがおかれた状況を考慮すると、損害賠償請求を実行することの困難さは容易に想像できましょう。

にもかかわらず、裁判官は「飯塚さんが日弁連への人権救済の申し立てなどの活動を続けてきたことなどから、20年以内に自ら請求もできたのではないか」という理由で、請求権は消滅したと判断しました。でも、宮城県に証拠の手術記録を廃棄されていた飯塚さんは、裁判を起こそうとしても、それが出来なかったのです。飯塚さんは、故佐々木千津子さんと行動を共にするうちに、この問題の不条理を訴えました。2015年日弁連に人権救済を申し立て、実態を知った弁護士らが彼女を支援し、2018年1月に飯塚さんが提訴し、世間にこの問題が認知されるきっかけとなりました。26年間被害を訴え続け、全国で訴訟が起きる契機となった飯塚さんの高裁判決で、よもやの敗訴とは。他の高裁判決で賠償が認められているのに、何故?という不公平感を覚えずにはいられません。

もっと憤りを感ぜずにはおれないのは、産む性である女性裁判長が、16歳で不妊手術を受けさせられ体調不良になった飯塚さんと知的障害を理由に本人同意がないままに15歳で不妊手術を受けさせられた女性の二人が長年抱えてきた辛い思いを汲むことなく、裁判が始まってすぐに「控訴人らの本件訴訟をいずれも棄却する」との主文を読んですぐに法廷から去ったとの報道。判決理由を説明もせず、それは僅か30秒のことだったそうです。血も涙もないのか!と怒りを覚えます。酷い!と思った瞬間に連想したのは、人の価値を「生産性」で語った女性国会議員のこと。生産性の観点から人を選別するのはナチの優生思想そのもの。その誤りを歴史から学んだはずなのに、今もこの考え方が生きているのかとゾッとしました。
2023年6月6日付け京都新聞
2023年6月13日京都新聞1面
2023年6月13日京都新聞社会面

2019年4月に僅か320万円の一時金支給を柱にした議員立法で「被害者救済法」が成立し、施行されましたが、障害者差別を繰り返さないために、旧優生保護法を調査すると明記されていて、2020年6月からその調査が始まったのだそうです。対象は、国や自治体、医療機関、福祉施設で保管されていた資料類。それから3年経っての調査報告が、6月12日衆参両議院の厚生労働委員長に提出されたという報道です。

報告によれば、旧優生保護法(1948-96年)下では、障害者らに対し、福祉施設への入所や結婚の前提条件として不妊手術が強制されていたり、他の手術と偽ったりした事例もあったそうです。他に経済状況から育児が困難と判断されたり、家族の意向でというものも含まれていました。

調査の結果、自治体に6550人分の手術記録が保存されていたそうです。また、佐々木千津子さんの例も同じですが「子どもができなくなる手術との説明を受けていない」人が被害者アンケートに答えた40人の内27人もおられます。

国立ハンセン病療養所からは「結婚の条件として優生手術が行われた」と回答があったそうですが、11月12日に上映する『凱歌』に登場する山内定さんときみ江さんご夫妻が正しくそうです。さらに、障害者団体への調査では、生理時の手間を省くため子宮摘出が勧奨されていたと回答があったそうですが、佐々木千津子さんの子宮へのコバルト照射が行われた件がそうですね。自宅から出て施設で暮らそうとした佐々木さんに、「生理の始末が自分でできないと入所できない」というお母さんが仕入れてきた情報により、広島の公立病院で「痛くもなんともない手術」が施され、子どもを持つことが出来ない体になっただけでなく、その後遺症で佐々木さんは随分苦しまれました。

1948年に旧優生保護法が成立した折には、「批判的な議論がなされた形跡がなかった」と報告書原案に明記されています。当時は戦後間もなくの食糧難の時代ということで、人口抑制策として議員立法でこの法律は成立しました。「不良な子孫の出生防止」目的に、障害者らを対象に本人の同意がなくても不妊手術が競うように行われました。1975年の高校保健体育の教科書に「国民全体の遺伝素質を改善・向上させるために国民優生に力を注いでいる」と記されていて、社会全般に優生思想がひろがり、そのことが人権侵害にあたることなど誰も思い至っていない状況がわかります。

強制不妊手術の被害者は約2万5000人にも及ぶと言われていても、これまで支給認定されたのは、わずか1047人にとどまっています(2023年4月現在)。余りにも少ないのは、周囲に知られたくないと思っている人々の存在や、自身が当事者であると認識していないケースもあるでしょう。今回明らかになった資料が残る6550人については、速やかに一時金の支払いを行い、国の正式な謝罪があってしかるべきだと思います。

2018年仙台地裁への提訴を機に2019年1月に成立、即日施行された議員立法には、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けたものに対する一時金の支給等に対する法律」と長い文言が連なりますが、そこには肝心の検証と総括がなく、「われわれはそれぞれの立場においておわびする」と木で鼻をくくったような表現しか書かれていません。「われわれ」は一体誰のことを指すのでしょう?誰が、どの様な人権侵害をしたのか、謝罪すべき責任者と行為を明記していません。

今回の調査報告書原案概要公表が、今も各地で展開されている国賠訴訟に追い風となって、問題の一日も早い解決がなされることを願います。当事者の人々は既に高齢なので、残された時間は限られていますから。

京都新聞6月17日付け
と思っていましたが、そうは問屋が卸さないということでしょうか、6月16日札幌高裁で行われた裁判では、一審に続き二審も原告夫妻が敗訴の判決が下りました。旧優生保護法下で知的障害がある妻に対し、中絶手術と不妊手術を強制したのは憲法違反だとして訴えておられたのですが、手術痕や記録が残っていないことから客観的証拠がなく不妊手術を受けた事実が認められず、中絶手術は経済的理由だった可能性があると司法は判断しました。妻は1981年に妊娠しましたが、家族が出産に反対し、夫は署名を迫られて手術に同意したと主張していました。

2019年成立の救済法では、手術の明確な記録が残っていなくても、医師による手術痕の診断書や、本人家族らの説明を記した請求書によって認定を受ければ一時金が支給されるとしていますが、この夫妻の場合これらでの証明が叶わなかったのでしょう。手術から42年。年月経過は酷です。

一部の自治体では、手術記録が残っていた被害者に、プライバシーに配慮しながら個別通知しているとのことですが、残念ながら京都府では実施されていないと以前の記事で読みました。ぜひ、京都でもこのような取り組みをして差し上げて欲しいです。

旧優生保護法は1996年の改正で、優生条項が削除され母体保護法になりましたが、相模原市で起こったやまゆり園事件の様に、誤った優生思想が今も根強く残っているのだと思い知らされることがあります。そして、障害がある人や家族は、たとえ理不尽な扱いを受けてもそれを訴えることもできず、沈黙して耐える状況があると思います。

誰でも病気になるし、交通事故や怪我などで障害者になる可能性があります。決して他人ごとではなく、誰もが当事者になる可能性があるのですから、もっと温かく目と広い心で人と接することが、結局自他ともに生きやすい社会になりましょう。

社会学者で東大名誉教授の上野千鶴子さんが「弱者が弱者のまま安心できる社会をつくることが、フェミニズムの目的」だと語っておられましたが、「弱者のまま安心できる社会」というのは、誰にとっても生きやすい社会ですね。みんなでそういう社会を目指して、自分が出来ることを自分の周辺からコツコツ始めれば、きっと世の中は変わると思います。

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さて、明石市在住小林寶二(たかじ)さんの体験を聞く会が催されると知って、4月30日神戸市新長田にある「ふくろうの杜食堂」へ行ってきました。催されたのは社会福祉法人ひょうご聴覚障害者福祉事業協会理事長の大矢暹さん(写真右)。小林さんは、1932(昭和7)年生まれの同い年の奥様喜美子さんを昨年亡くされたばかりでした。寶二さんと喜美子さんは、強制不妊問題兵庫訴訟5人の原告の2人でした。

大矢さんの紹介によれば「ご夫妻とも、明るい」と仰ったとおり、この日も満面の笑みを湛えておられましたが、小林さんご本人は「苦しくても笑わなければ生きてこれなかった。表面的には。」とそれを受けてお話しくださいました。

喜美子さんは大阪府立聾口学校で口話を学び、寶二さんは垂水の聾学校で手話を学んだそうです。二人は1960年に結婚し、寶二さんのご両親と同居の生活が始まりました。喜美子さんのご家族は、子どもが生まれても良いという考えでしたが、寶二さんのお母様が「耳の聞こえない子どもが生まれたら、どうするんだ」と言って子どもを産むことを許さなかったのだそうです。お母さまは若い頃大変に美しく、腕の良い木工職人を経て、カフェを商いし多忙だったお父様との間に10人の子どもをもうけました。そのうち4人が聾者だったそうです。寶二さんのお話では、お母様は家事を女中に任せっきりにし、お父様は仕事だけの家庭を顧みない人でした。

お母様の方針で寶二さん夫妻に妊娠が分かった翌日、喜美子さんのお母様が呼び出されて、尼崎の実家の近くの病院に連れていかれ、目が覚めるとお腹の赤ちゃんはいなくなっていました。お母さんからは「赤ちゃん腐ってる」とだけ言われたそう。医師からの説明は何もなかったそうです。寶二さんと喜美子さんにとって大切なことが、当人たちには一切の説明や了承がないままに、中絶と不妊手術が行われたのです。

その重大な事実について二人が認知できたのは、後にも述べる2018年になってからのこと。58年も経ってからのことでした。誰も頼る人がいないと、喜美子さんは「子どもが欲しかった」と顔をしかめて話をされたそうです。それを傍で聞いていた寶二さんも辛かったことでしょう。

当時木工共同作業所の仕事場では、聾者であることからいつもいじめられ、木屑を振りかけられたりしましたが辛抱されました。でも綺麗に削れるようになると、職場の人は黙りだしたので、腕が必要だと実感。人を黙らせる腕が自分を護ると体験で学ばれたのです。小林さんの言葉が印象に残ります。「人間性を放さないと、自分を殺さないと、技術は見につかない」。木工所の仲間は、不良品を小林さんの所為にしたそうです。

お母様は当時世の中全体に広まっていた優生思想に染まっておられ「頭の中に差別思想があった」と寶二さん。耳が聞こえる弟さんに対してと異なり、寶二さんはお母様から「抱きしめられたり、優しい笑顔を向けられた記憶などない」と話しておられます。お母様のこの態度は、喜美子さんに対しても同様で、「血筋が違うから」と偏見があり、酷い言葉を投げつけていたのを見かねて「言わないでくれ。いずれお母さんが弱った時に助けるから」と頼んでも、終生お母様の態度は変わらなかったそうです。

誰にだって母親は特別な存在。小林さんの辛さ、奥様の無念さを思うと、「時代がそうだった」と簡単に割り切るわけにはまいりません。さぞかし辛い日々だったろうと思います。「買った薬を飲んだから、聾の子が生まれた」とお母様が言って、寶二さんの耳を引っ張ったり、顔を背けられたりした悔しい思い出もあるそうです。腹を痛めた我が子、お母様には「何で私に…」という人様にぶつけられない悲しみや怒りがあったのでしょうけど。後で寶二さんにお聞きしたところ、強制不妊手術を受けさせられたのは宝二さんだけで、お兄様や弟様にはお子さんがおられるのだそうです。甥や姪を見ると「何で…」という持って行き場のない思いが胸いっぱいに広がったことでしょう。

そんな思いを抱えながらも、「ずっと黙っているしか仕方なかった」と寶二さん。半世紀以上沈黙するしかなかった小林さんでしたが、2018年5月の仙台裁判の後、全日本ろうあ連盟が優性被害の実態調査をしようということになって、ご夫妻も聞き取り調査を受けます。その時に初めて、旧優生保護法の存在があり、その法律によって自分たちと同じように不妊手術をむりやり受けさせられた障害者らがたくさんいることを知ります。そして、喜美子さんが中絶手術だけでなく、不妊手術も受けさせられていたことも知ります。

小林さんは、日本聴力障害新聞3月号に、挙式前にお母様に病院へ連れていかれ、不妊手術を受けさせられた高尾辰夫(仮名)さんの記事が載っているのを読み、自分と同じ経験をした人がいると分かり、上掲写真の大矢さんに相談しに行こうということになったのだそうです。大矢さんは何度も寶二さんと出会っているうちに「どんな時代に、どんな思いで生きてこられたのか!」と心を痛め、寶二さんご夫妻のことに関心を深め、お二人のこれまで、社会情勢、法律に関する情報も盛り込んだ年表を作成し、この日配布して下さいました。自分の胸の中でしまっておくしかないと諦めていたところに、各地で強制不妊問題国賠訴訟が起こっている事実を知った寶二さんは、大矢さんから「頑張ろう!」と励まされ、2018年9月に神戸地裁に提訴されました。

2021年一審の神戸地裁での裁判では「除斥期間」を理由に敗訴になり、小林さんたちは神戸高裁に控訴します。その結果が今年3月23日大阪高裁での判決で、下掲写真の笑顔の通り「逆転勝訴」を勝ち取りました。

この時の判決では、①国が旧優生保護法を違憲と認める②旧法を違憲と知る司法判断が最高裁で確定する-のいずれか早い時期から6か月間は「除斥期間」が適用されないとする初めての解釈を示し、被害者の救済範囲を広げる判断をしました。そして、国に対し、小林さんら5人に対して合計4950万円の賠償を命じました。
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でも、今年4月5日国は二審の大阪高裁判決を不服として最高裁に上告。結局91歳の小林さんは、
これからも国相手の裁判を闘っていくことに。どうして被害者らが味わってきた悲しみ、苦し
みに人として共感できないのでしょうか?

これまで、目に留まった強制不妊問題の記事をスクラップしてきましたが、訴訟を起こしておられるご本人の声を初めて聞きました。最近は、この問題に関する記事の扱いが徐々に大きくなっているように感じてはいますが、それと比例して多くの読者の方の目に留まるかといえば決してそうとも言えないでしょう。関心があれば、どんなに小さな記事も目に留まりますが、関心がなければ大きな扱いの記事と言えどもスルーしてしまいます。

機会があれば、当事者の声を直接に聞いてもらえたら、国が主導して行った戦後最悪の人権侵害の酷さを理解してもらえるのに、と思わずにはおれません。11月12日は、先にも触れた『凱歌』を上映して、ハンセン病元患者らに行われていた強制不妊手術の問題を知って頂こうと思います。詳細につきましては、別に書きます。

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