2022年12月

「19日は、強制不妊問題について全国一斉に無料相談会が開かれる」と思って、19日の京都新聞を広げたら、1面、3面、社会面にわたって、大きく報道されていたのが、旧優生保護法(1948~96年)以降の1998年頃から、北海道のグループホームで、入所者が結婚や動静を希望する場合、施設は不妊手術を受けることを条件にして、これまで8組が応じていたという驚きの内容でした。この条件を拒否すると支援が打ち切られ、退所しなければならず、施設が少ない地方では断ることはなかなか難しい現実があり、数字に表れた8組の方たちの本音はどうだったのかが、気になります。
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今年実施した手話映画の際、耳にしたのは「聾者の出産に際し、ちゃんと聞こえる子どもが生まれるかどうか、とても皆さん気にしておられる」という話でした。聾者のカップルに健聴者の子どもが生まれ、その子は健常者と家族の通訳をする一方、先生が見出してくれた歌の才能(聾者の両親には彼女の歌声は聞こえない)を開花すべく夢に向かって踏み出す『CODA あいのうた』は第94回アメリカのアカデミー賞作品賞、助演男優賞、脚色賞を受賞しました。出演者の両親と兄は実際の聾者が演じて見事な演技でした。聾者カップルだから、必ずしも産み育てることが困難とは限りません。それを可能にする社会の受け皿をもっと整えていくべきでしょう。

小泉内閣時代から盛んに“自己責任”という言葉が強調されるようになってきましたが、日本には“お互い様”という言葉もあります。それぞれができる時に、できるだけの手助けをして相互扶助する優しい社会をみんなで作っていきたいです。

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19日夕刊では、件の施設では、カップルが手術に同意した場合、施設が手術をしてくれる病院を探したり、付き添ったりしてもいたそうです。これまでの強制不妊問題でも、最初に実名と名前を明らかにしてこの問題を世に問うた佐々木千津子さんのように、当事者たちにはしっかりと「これから為されることの意味」が分かっていなかった事例がいくつもあります。子どもが好きだった佐々木さんは、自分が子どもを産めない体になったことを後になって理解して、同じような思いを抱く人が現れないよう自分の体験を話されました。

施設側は「不妊処置を受けるかどうかは障害者側に判断を委ねている」と強調していますが、本人たちの気持ちを横において家族からの説得がなされたりした事例もあるのではないかと想像します。ここは、過去の強制不妊問題を訴える当事者たちの声に耳を傾け、その訴えを教訓に活かすべきだと思います。同じ過ちを繰り返して、尊厳を踏みにじることがないようにして貰いたいです。どんな人にも幸せを追い求める権利があることを社会全体が今一度理解を深めるようにしなければならないと思います。

7月以降の共同通信の取材にこの施設理事長は、結婚を希望する場合は「子どもがいじめられた時に親の責任を果たせるのか。子どもに『なぜ産んだのか』と言われたらどうするのか。全部説明し」、不妊処置を受けるかどうかの判断を障害者側に選択を委ねていると述べ、「ルールが一つある。結婚は反対しないが、そこで授かる生の保証はできない。それが駄目だったら他を当たって。そこはきっちりやっている」と発言していたそうです(20日付け京都新聞社会面)。ある意味、脅しにか聞こえませんね。
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上掲は20日付け京都新聞夕刊の記事。この問題は今後の調査で、もっと他の施設での事例が出てくるような嫌な予感がします。

同じ20日付け朝刊で京都市内の知的障害の子を持つ親を対象としたアンケート結果から、7割がケアを負担と感じていて、学齢期の子を持つ家庭では9割以上が進路に不安を抱いているほか、経済的困窮や預け先に悩んでいる実態も明らかになったと報じていました。

重度障害のれいわ新選組の天畠大輔参議院議員は「健常者中心につくられた社会のルールを見直す必要性を議員や国会に訴えたい」と話し、「今の日本は少し人と違ったら居場所がなくなりがち。誰にでも居場所のある社会、弱さの開示がしやすい社会にしたい」と話しておられます(12月14日付け京都新聞4面)。

世の中全体に弱者を受け入れる余裕がなくなっていると感じます。過去の事例、悲劇を教訓にして、今のうちにきめ細やかなセーフティーネットを構築しなければならないと思います。軍事費に多額のお金を投入しているばかりではなくて、もっと足元の安心できる社会構築を目指すべきでしょう。自身のヤングケアラー経験をもとにして、「ヤングケアラー協会」を立ち上げた宮崎成悟さんは「支援の糸がその人の目の前にたくさん垂れている社会」になれば良いと話しておられましたが、それがより太い糸になっていけば良いなぁと願います。

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バタバタしていて載せることができずにいましたが、明日19日10時~16時まで、優生保護法下で障害者の人たちが不妊手術を強制された問題に関して、日弁連が全国一斉無料相談を実施されます。思い出したくないと記憶を封じ込めたままの人もおられるかもしれませんし、こうした動きを報じる情報にアクセスできないままの人もおられるかもしれません。

「ひょっとしたら」と思われる御当人やお傍におられる方が気が付かれましたら、ぜひこの機会にご相談をされたら良いと思います。

ナビダイヤル0570-012-190で最寄りの弁護士会に繋がり、ファクスは022-726-2545。予約不要。

この記事の前日に京都新聞対向面で報じられたのが下掲です。
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見出しの「私がさらけ出しているのに、自治体は隠すのか」との声に全くその通りだと思います。3月24日の判決を注意してみようと思います。

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京都新聞8面

社会面
今朝の京都新聞の大きな扱いの記事です。執筆した岡本晃明記者は、これまでも陸軍731部隊が行ってきたことを調査して報道されていましたが、今回は熊本県合志市に今もある国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園で行われていたおぞましい人体実験に関する報道です。上掲のように1面、8面に全面特集、社会面にわたって大きく載っています。熊本日日新聞は1面と12面に関連記事が載っているようです。

京都新聞と地元の熊本日日新聞が情報公開請求したことに伴い、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園が開示。1942年12月に始まった人体実験に用いたのは写真の「感光剤」を合成した「虹波」と名付けられた薬剤。詳しい成分までは書いてありませんが、写真やフィルムの感光剤には銀が用いられていて、この銀が反応して黒くする作用があります。読みながら、これを投与された人たちに銀の中毒がなかったのかが気になります。

何より驚いたのは、公開された草稿に、患者を「材料」と呼んでいたことが記されていたこと。「満洲」にあった731部隊では中国人捕虜らを実験台にして、生物化学兵器開発の実験を繰り返し、彼らのことを「丸太」と呼んでいましたが、一体全体、人を何だと思っているのかと強い憤りを覚えます。第7陸軍技術研究所の研究嘱託だった宮崎松記園長(旧京都帝大医学部卒)が作成した「効果試験報告(概報)第1報」には、人体実験には6歳から67歳の入所者370人に「虹波」が投与され、9人が亡くなっていることが記されているそうです。6歳の子どもにまで投与していたというのは余りにも酷い話です。

ハンセン病は感染性が低く、海外では既に治療薬「プロミン」が開発されていたにも関わらず、日本は長く隔離政策を続けてきました。その間競うように各県は「無らい県運動」を継続し、差別の目にさらされた患者の人々は強制的にハンセン病療養所(全国に13箇所)に入れられ隔離されました。恵楓園のピーク時は1950年代で入所者が1700人を超えていたそうです。記事によれば戦後のハンセン病隔離政策を主導したのが先の宮崎松記園長で、投与の結果亡くなった人の解剖をした熊本医科大鈴江懐教授も京都帝大医学部卒、もう一人第7陸軍技術研究所嘱託だった同大学波多野輔久教授も京都帝大医学部卒で、「虹波」研究の人脈は、731部隊創設の石井四郎軍医中将同様京大医学部に繋がっています。

ハンセン病患者の人々を「材料」として扱い、「静脈注射、脊髄管腔内注射、吸入、座薬、服薬など投薬方法を手あたり次第に試している」というのも恐ろしい話です。資料が公開された機会に、何があったのか徹底的に解明して、こうしたことを二度と繰り返さない戒めにしてほしいです。

「共に生きる会」の第2回事業で強制不妊問題を取り上げたことから、ずっと関心を持ち続けていますが、今回の報道のような非人道的な行為が旧陸軍下で、しかも戦後の一時期までも続いていた事実に衝撃を受けています。

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