「19日は、強制不妊問題について全国一斉に無料相談会が開かれる」と思って、19日の京都新聞を広げたら、1面、3面、社会面にわたって、大きく報道されていたのが、旧優生保護法(1948~96年)以降の1998年頃から、北海道のグループホームで、入所者が結婚や動静を希望する場合、施設は不妊手術を受けることを条件にして、これまで8組が応じていたという驚きの内容でした。この条件を拒否すると支援が打ち切られ、退所しなければならず、施設が少ない地方では断ることはなかなか難しい現実があり、数字に表れた8組の方たちの本音はどうだったのかが、気になります。
今年実施した手話映画の際、耳にしたのは「聾者の出産に際し、ちゃんと聞こえる子どもが生まれるかどうか、とても皆さん気にしておられる」という話でした。聾者のカップルに健聴者の子どもが生まれ、その子は健常者と家族の通訳をする一方、先生が見出してくれた歌の才能(聾者の両親には彼女の歌声は聞こえない)を開花すべく夢に向かって踏み出す『CODA あいのうた』は第94回アメリカのアカデミー賞作品賞、助演男優賞、脚色賞を受賞しました。出演者の両親と兄は実際の聾者が演じて見事な演技でした。聾者カップルだから、必ずしも産み育てることが困難とは限りません。それを可能にする社会の受け皿をもっと整えていくべきでしょう。
小泉内閣時代から盛んに“自己責任”という言葉が強調されるようになってきましたが、日本には“お互い様”という言葉もあります。それぞれができる時に、できるだけの手助けをして相互扶助する優しい社会をみんなで作っていきたいです。
19日夕刊では、件の施設では、カップルが手術に同意した場合、施設が手術をしてくれる病院を探したり、付き添ったりしてもいたそうです。これまでの強制不妊問題でも、最初に実名と名前を明らかにしてこの問題を世に問うた佐々木千津子さんのように、当事者たちにはしっかりと「これから為されることの意味」が分かっていなかった事例がいくつもあります。子どもが好きだった佐々木さんは、自分が子どもを産めない体になったことを後になって理解して、同じような思いを抱く人が現れないよう自分の体験を話されました。
施設側は「不妊処置を受けるかどうかは障害者側に判断を委ねている」と強調していますが、本人たちの気持ちを横において家族からの説得がなされたりした事例もあるのではないかと想像します。ここは、過去の強制不妊問題を訴える当事者たちの声に耳を傾け、その訴えを教訓に活かすべきだと思います。同じ過ちを繰り返して、尊厳を踏みにじることがないようにして貰いたいです。どんな人にも幸せを追い求める権利があることを社会全体が今一度理解を深めるようにしなければならないと思います。
7月以降の共同通信の取材にこの施設理事長は、結婚を希望する場合は「子どもがいじめられた時に親の責任を果たせるのか。子どもに『なぜ産んだのか』と言われたらどうするのか。全部説明し」、不妊処置を受けるかどうかの判断を障害者側に選択を委ねていると述べ、「ルールが一つある。結婚は反対しないが、そこで授かる生の保証はできない。それが駄目だったら他を当たって。そこはきっちりやっている」と発言していたそうです(20日付け京都新聞社会面)。ある意味、脅しにか聞こえませんね。
上掲は20日付け京都新聞夕刊の記事。この問題は今後の調査で、もっと他の施設での事例が出てくるような嫌な予感がします。
同じ20日付け朝刊で京都市内の知的障害の子を持つ親を対象としたアンケート結果から、7割がケアを負担と感じていて、学齢期の子を持つ家庭では9割以上が進路に不安を抱いているほか、経済的困窮や預け先に悩んでいる実態も明らかになったと報じていました。
重度障害のれいわ新選組の天畠大輔参議院議員は「健常者中心につくられた社会のルールを見直す必要性を議員や国会に訴えたい」と話し、「今の日本は少し人と違ったら居場所がなくなりがち。誰にでも居場所のある社会、弱さの開示がしやすい社会にしたい」と話しておられます(12月14日付け京都新聞4面)。
世の中全体に弱者を受け入れる余裕がなくなっていると感じます。過去の事例、悲劇を教訓にして、今のうちにきめ細やかなセーフティーネットを構築しなければならないと思います。軍事費に多額のお金を投入しているばかりではなくて、もっと足元の安心できる社会構築を目指すべきでしょう。自身のヤングケアラー経験をもとにして、「ヤングケアラー協会」を立ち上げた宮崎成悟さんは「支援の糸がその人の目の前にたくさん垂れている社会」になれば良いと話しておられましたが、それがより太い糸になっていけば良いなぁと願います。
今年実施した手話映画の際、耳にしたのは「聾者の出産に際し、ちゃんと聞こえる子どもが生まれるかどうか、とても皆さん気にしておられる」という話でした。聾者のカップルに健聴者の子どもが生まれ、その子は健常者と家族の通訳をする一方、先生が見出してくれた歌の才能(聾者の両親には彼女の歌声は聞こえない)を開花すべく夢に向かって踏み出す『CODA あいのうた』は第94回アメリカのアカデミー賞作品賞、助演男優賞、脚色賞を受賞しました。出演者の両親と兄は実際の聾者が演じて見事な演技でした。聾者カップルだから、必ずしも産み育てることが困難とは限りません。それを可能にする社会の受け皿をもっと整えていくべきでしょう。
小泉内閣時代から盛んに“自己責任”という言葉が強調されるようになってきましたが、日本には“お互い様”という言葉もあります。それぞれができる時に、できるだけの手助けをして相互扶助する優しい社会をみんなで作っていきたいです。
19日夕刊では、件の施設では、カップルが手術に同意した場合、施設が手術をしてくれる病院を探したり、付き添ったりしてもいたそうです。これまでの強制不妊問題でも、最初に実名と名前を明らかにしてこの問題を世に問うた佐々木千津子さんのように、当事者たちにはしっかりと「これから為されることの意味」が分かっていなかった事例がいくつもあります。子どもが好きだった佐々木さんは、自分が子どもを産めない体になったことを後になって理解して、同じような思いを抱く人が現れないよう自分の体験を話されました。
施設側は「不妊処置を受けるかどうかは障害者側に判断を委ねている」と強調していますが、本人たちの気持ちを横において家族からの説得がなされたりした事例もあるのではないかと想像します。ここは、過去の強制不妊問題を訴える当事者たちの声に耳を傾け、その訴えを教訓に活かすべきだと思います。同じ過ちを繰り返して、尊厳を踏みにじることがないようにして貰いたいです。どんな人にも幸せを追い求める権利があることを社会全体が今一度理解を深めるようにしなければならないと思います。
7月以降の共同通信の取材にこの施設理事長は、結婚を希望する場合は「子どもがいじめられた時に親の責任を果たせるのか。子どもに『なぜ産んだのか』と言われたらどうするのか。全部説明し」、不妊処置を受けるかどうかの判断を障害者側に選択を委ねていると述べ、「ルールが一つある。結婚は反対しないが、そこで授かる生の保証はできない。それが駄目だったら他を当たって。そこはきっちりやっている」と発言していたそうです(20日付け京都新聞社会面)。ある意味、脅しにか聞こえませんね。
上掲は20日付け京都新聞夕刊の記事。この問題は今後の調査で、もっと他の施設での事例が出てくるような嫌な予感がします。
同じ20日付け朝刊で京都市内の知的障害の子を持つ親を対象としたアンケート結果から、7割がケアを負担と感じていて、学齢期の子を持つ家庭では9割以上が進路に不安を抱いているほか、経済的困窮や預け先に悩んでいる実態も明らかになったと報じていました。
重度障害のれいわ新選組の天畠大輔参議院議員は「健常者中心につくられた社会のルールを見直す必要性を議員や国会に訴えたい」と話し、「今の日本は少し人と違ったら居場所がなくなりがち。誰にでも居場所のある社会、弱さの開示がしやすい社会にしたい」と話しておられます(12月14日付け京都新聞4面)。
世の中全体に弱者を受け入れる余裕がなくなっていると感じます。過去の事例、悲劇を教訓にして、今のうちにきめ細やかなセーフティーネットを構築しなければならないと思います。軍事費に多額のお金を投入しているばかりではなくて、もっと足元の安心できる社会構築を目指すべきでしょう。自身のヤングケアラー経験をもとにして、「ヤングケアラー協会」を立ち上げた宮崎成悟さんは「支援の糸がその人の目の前にたくさん垂れている社会」になれば良いと話しておられましたが、それがより太い糸になっていけば良いなぁと願います。