2022年04月

毎日新聞京都版2022年4月23日付け

4月4日に毎日新聞大阪版に大きく載った谷進一監督の新作『ヒゲの校長』紹介記事ですが、ようやく今日23日付け京都版にも大きく載りました(上掲)。中見出しに「京都の監督」の5文字が加筆されているのが大阪版との違いですが、内容は全く同じ。しかしながら、京都版はカラーなので、谷監督の赤い作務衣が目を引きますね💗

監督の本業は訪問看護師なのですが、俳優もされているほか、当「共に生きる会」の副代表や私どもが運営している一般社団法人京都映画芸術文化研究所の監事も引き受けてくださっています。計画ではこの秋に「共に生きる会」で『ヒゲの校長』上映会と写真撮影のワークショップを行う予定です。近付きましたら改めてご案内いたしますね。今は最後の撮影と編集作業が残っていますが、無事完成したら、各地で上映会が催されると思いますので、その折には、是非とも皆様お誘い合わせの上、ぜひともご覧ください‼ 

記事最後に載っている谷さんのコメントを再掲載します。「手話が排除された時代があったことを知ってほしい。奥が深い言語であり、文化である手話が英語を習うように身近になり、多様な人が共存できる社会につながれば」。2020年11月に「共に生きる会」発足記念事業として開催した「映画と語りで知る『ストーマ』のこと」の折に、日常で使う手話50をイラスト付きで紹介した八ッ折リーフレット「やってみよう手話」を作ってお配りしました。
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今秋の催しでもお配りして、少しでも手話への関心を深めていただき、使ってもらえたらと願っています。

【6月25日追記】
谷進一監督から連絡があり、6月27日(月)20時~20時半、NHKEテレ「ハートネットTV フクチッチ「手話(前編)」で、『ヒゲの校長』も紹介されるそうです。視聴可能な方は、ぜひご覧ください‼詳しくはこちらをご覧ください。



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旧優生保護法下で不妊手術を強制された人々対象に、全国一斉電話相談が20日に開催されるそうです。今日の新聞記事ですから、実施日の20日までにどれぐらいの当該者の方々に、この情報が伝わるのかが気にかかります。小さな扱いの記事でしたから、目に留まるのかも気になるところ。ニュース番組でも幾度も報道してくださったら良いのですけど。

やはり大阪と東京での高裁判決が好影響を与えているようです。弁護団の新里団長さんが仰るように「今まで口をつぐんできた人も、安心して声を上げて」貰いたいです。こうした声がたくさん届けば、国の対応も変わるはず。大きな力になります。

きっと続編を書くことがあるだろうと思いますので、今日はここまでに。
相談日時と電話番号の詳細は、優生保護法被害弁護団のサイトをごらんください。http://yuseibengo.starfree.jp/archives/2215

【4月20日京都新聞記事】
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今日20日が全国一斉電話相談の日です。京都では午後4時までの受け付け。大きな新聞記事の見出し「泣き寝入りせず、勇気を」の文字に全く同感です。日本では申請主義なので、自分で動かないと行政から歩み寄っては来てくれません。どうか、この情報に気付いて、お一人でも声を上げて欲しいなぁと願います。相談には本人以外からの相談も受け付けるとあります。良い取り組みだと思います。

別の面に小さく載っていた記事ですが、韓国の元ハンセン病家族への補償金支給が決定したそうです。長い戦いがあって勝ち取った補償法。味わった苦痛に比べれば決して高くはありませんが、まずは認められて良かったです。
【5月4日付け追記】

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文字が小さくて読みにくいかもしれません。記事の上でクリックしていただくと拡大してお読みいただけます。ハンセン病患者の施設で准看護婦として20人ほどの不妊手術に立ち会った経験を話す女性の文末の内容を抜き書きすると「貧しさで人権感覚や理性がまひする中、弱者とされる人を社会から排除しようとした国の愚策だ。一時金の額は子を産み育てる権利を奪った被害に見合っていない。被害者が高齢化し、亡くなってしまう前に国は適正な額を再検討すべきだ」と仰っています。

諸般の事情でまだ名乗り出ていおられない人々は、ぜひ勇気をもって前に一歩踏み出してもらいたいです。無念な思いはこの世で解決して、少しでも穏やかな余生を送って欲しいと願うばかりです。

【5月7日追記】
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強制不妊手術を受けさせられて人生を台無しにさせられた人たちのことを思えば、記録探しを施設任せにするのは余りにも酷いと思います。国の責任で徹底的に調査をすべきです。

先日、強制不妊問題を取り上げた昨年6月の上映会と講演のことを話していましたら、「(催しとしては)重いから…」との言葉が返ってきました。声を上げられずにいる人の存在に何とか周りの人が気付いてあげられないか、自分が当時者だったらどんな思いを抱く人生だったかと想像する契機になれば良いと実施しました。たとえ「重い」と思われても、大事なことだから、これからもこうした動きをフォローしていこうと思っています。

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