代表作『ゆきゆきて、神軍』(1987年)の原一男監督の最新作『水俣曼荼羅』は6時間12分もある超大作です。見る前にこの長さを知って、「自分は耐えられるか」と思いましたが、実際には全く長さを感じないままに没入して観ることができました。
始まりは2004年10月15日、水俣病関西訴訟の最高裁判決の日だったそうです。国と県の責任を認める判決が出た日でした。関係者を撮って欲しいと水俣病訴訟支援者からの依頼を受けてだったようです。取材を進めていくうちに、これは過去のことではなく、現在も続いている問題であり、広く知って貰うことが大切だと気付き、何と撮影15年、編集5年を費やし、今回の劇場公開に。撮影時間は1000時間を超えたそうです。
国や県の患者認定を巡り、行政の判断に翻弄される患者や家族と支援者、そして水俣病の新たな「病像論」を発表した熊本大学病院の医師たちを記録しています。原監督から「これから数ヵ月、この作品を持って全国の映画館を回ります」とメールを貰いましたとおり、18日には熊本市内にあるDenkikanで上映が始まり、24日まで上映されます。水俣の問題を地元の皆さんがどのようにご覧になるのか気になっていました。22日夜、NHK熊本放送局が原監督をインタビューした番組が11分近い長さで放送されているのを見ました。女性の観客が「まだこんな現状なんだなぁと、映画でよくわかり、ちょっとショックでした」と感想を述べておられました。地元なのに、否、地元だからこそ、水俣病のことは余り報道されていなかったのかもしれないと思いました。
昨年から交流が始まった熊本の方に「“水俣病”の言葉は禁句ですか?」と尋ねたら、「禁句でも何でもありません。でも水俣では微妙かもしれない。現地水俣ではチッソの企業城下町でしたし、会社側と患者側で長年にわたって地域を分断する闘争が繰り広げられ、地域共同体は酷く傷ついたようです。そのため、今も病名変更を求める動きが時々噴出したりと、“水俣病”という名称を憚る面もあるようです。」と返事がきました。
後半、90歳を超えた男性の原告が裁判で勝訴したことを受けて原告団が蒲島知事に会って以降、患者認定作業を加速したようですが、かえって不認定になるケースが増えている現状があると認識しました。最高裁判所は、国の定める基準を幅広くして、被害を認定するよう判決を下しましたが、国や熊本県は基準を改めることはしませんでした。
この知事さんについて知識は持ち合わせておらず、なんか暖かみの感じられない人だなぁと思っていました。映画を見た日の夜のニュースでアサリの産地偽装問題でこの蒲島知事さんが映っていました。ふと、本当にこの知事さんは、アサリの偽装問題を全くご存じじゃなかったのかしら?と思いました。「産地偽装根絶の先頭に自ら立つ」と仰ったそうですけど…。
原告団と会った知事に、原告と支援者の人たちが問いかけます。気持ちを問われた知事は「私どもは“法廷受託事務執行者”である。システムの中でしか人は動けません。判断基準は国が示します」と平然と答えました。支援者の一人が「国は県に、県は国にと、これまでも責任のなすりあいをしています。救済する心があれば出来るはずです」と知事に言います。「そうだ、そうだ」と心の中で叫びました。国の方ばかりをみて、縛りの中で仕事をすることを良しとして、足元の困っている民を見ないのは真の政治家と言えるのでしょうか?こういうシステムこそ見直しをしなければ、いつまで経っても弱い立場の民は救われません。
熊本の方に、「蒲島知事は県民に人気があるのでしょうか?」と尋ねたら、「くまモン人気にあやかっている知事って、感じでしょうか」と返事がきました。政治学者で東京大学名誉教授だそうですが。
熊本大学医学部の先生たちが、水俣病は水銀によって脳に障害がおこって感覚障害が起こることを突き止めました。病名変更を求める動きも地域感情としてわかるような気がします。そのことを件の熊本の方に問うと、「水俣病はもはや単なる病名ではなく、水俣という一地域の奇病として済まそうとしてきた歴史、それに対して立ち上がった水俣の人たちの歴史、それでも押さえ込もうとしてきた企業、政治の醜い歴史が刻まれた社会的な名称として、今更変えられない名称だと思います。因みに原因企業のチッソは紛争が続いている最中に水俣工場の名前をJNCに変えて、患者補償を終えたらチッソの名前も消してしまおうとしているんですよ。まるでチッソという会社なんてなかったと言おうとしているように見えませんか?」と返事をくださいました。
水俣病はチッソの抵抗で、原因未解明の時期が長かったことから、その間に胎児性の患者が生まれました。その一人坂本しのぶさんが、かつて恋心を抱いた男性たちと一緒にカメラに向かって思い出を語る場面が描かれています。3年掛けて撮ったそうです。映画を見た当初は、しのぶさんのエピソードに3人もの男性を登場させなくても良いのではないかと正直思ったのですが、「自由に外に出られない彼女にとって、外の空気を持つ人を好きになるときだけが、自由を感じられる時間だった。それを撮りたかった」と原監督が仰っているのを知って、「そうか」と納得しました。
「恋多き女性」と表現されていましたが、しのぶさんのお母様が“一人暮らしなんか無理”と決めつけていた場面の彼女の思いがとても印象に残りました。昨年「共に生きる会」で上映した佐々木千津子さんの日常を追ったドキュメンタリー映画『ここにおるんじゃけぇ』を観たからでしょう。脳性マヒで車椅子生活の彼女は人の介助なしに生きていけませんが、愛猫と一緒の一人暮らしを選択して実行します。“青い芝の会”のような支援組織があればこそでしょうが、こういった障害者支援のネットワークが広がっていけば良いなぁと思いました。
映画の終わり、“水俣ほたるの家”の谷洋一さんの言葉「水俣の地域社会全体、あるいは加害者のチッソや国・県そして水俣の福祉の人たちが、水俣病の人たちの問題をきちんとどう受け止められるかという問題なんです。その人たちにとってどういう被害があって、それをやっぱり補償すべきかということを役所でもチッソでも認めれば、問題解決は早かったと思いますよ。要するに、加害者と被害者の話し合いってないんですから。直接的な交渉だけであって、本当にそのことを前向きに取り組もうという姿勢はなかったということが決定的ですね」が印象に残りました。
今更時計を戻すことは出来ませんが、水俣の人々の怒りや苦しみ、悲しみを自分からは遠い出来事などと思わずに、自分事として受け止めて、このような時に自分は何ができるかを考える一歩になればと思います。