7月20日京都新聞朝刊に掲載された記事です。国の誤った施策で、人生を台無しにされた人々の無念の思いを広く知ってもらいたいという思いで綴られているそうです。『国から子どもをつくってはいけないと言われたひとたちー優生保護法の歴史と罪ー』(歩む兵庫の会℡078-341-9544)。
8月3日に1つの裁判の判決が下るそうですが、国は違法性を認め、謝罪し、除斥期間などを適用しないで、原告者らの思いに、言葉に真摯に耳を傾けて、希望に応えて欲しいと願わずにはおれません。裁判の結果に注目しています‼
折しも、今、政府がゴリ押しで開催を強行するオリンピック、パラリンピックの式典楽曲制作を担当していた小和田圭吾さんが学生時代にやっていた障がい者いじめや虐待問題がクローズアップされています。結局、国内外からの強い批判の声を受けて小和田さんは辞任に至りましたが、SNSで彼が障がい者の人にやった行為が書かれているのを読んで、暗澹たる思いになりました。どうしてこんな酷いことができて、そのことを雑誌のインタビューで平然と話せるのかと。
相手の立場に、自分の身を置き換えて想像すれば、「やられたら嫌だ」ということに簡単に気が付くはず。小和田さんの件ばかりでなく、いろんな場面で、相手の立場に立って考えることがおろそかになっていると感じています。
記事で実名を公表している鈴木由美さんは「(障がい者は)同じ人間として扱われていないのではないかと感じます」と書いておられるそうです。
6月6日の共に生きる会の講演会で、参加者から「今、雨後のタケノコのように支援学級が増えている」という話が出ましたが、教室の中に障がいがある子も一緒に学び、その子たちのお世話をすることによって、人に対する思いやりに溢れた子どもが育つように思います。「周囲に迷惑をかける」という遠慮と、「勉強の妨げになる」という自己中心の考え方で進めば、これからも小和田さんのような人が出てくるでしょう。
今日の京都新聞市民版には、京都市内の母親たちが、「インクルーシブ公園」整備を求める活動を始めたことが載っていました。聞き慣れない「インクルーシブ」という言葉ですが、「包み込む」という意味があり、障がいの有無や年齢にかかわらず、誰もが一緒に遊べる公園のことだそうです。例えば車椅子でも上がれる滑り台、体幹が弱くても乗れるブランコ、外への飛び出しを防ぐ囲いなどが設置されていて、乳幼児や妊婦さん、高齢者も利用しやすい工夫がされている公園。「みんなちがって みんないい」と認め合う場は、遊びながら、いろんな困難が世の中にあることを理解し、助け合う気持ちを育んでいくでしょう。母親たちの「ミラスタ!つながる“こうえん”プロジェクト」の活動が広がっていくことを期待しています。