2020年11月

質疑応答
◎60年前に看護師の資格を取った84歳の女性から
ずっと昔、私が結婚するときに38歳で仲人をしてくださった人が大腸の病気になり、ストーマになられた。その頃、こんな立派なストーマはなかった。その方がもの凄く苦労しておられたのを知っているので、こんな良いものができて、皆さんそんなもんやないと言われるかもしれませんが、随分助けられているんじゃないかと思いました。大変ですけど、頑張ってください。

(真山さん)昔の方の話を聞くと大変で。今も海外の経済的に貧しい所では、洗って使い回すなど本当に大変で、今の時代で良かったと思います。装具の会社の方にも助けられていますし、お洒落で、どんどん良いものを開発していただきたいです。ストーマになったからって出来ないことはなくて、山登りしている人もいれば、スイマーの人もいます。何でもできます。悲観的に考えないで大丈夫な時代になりました。

◎ストーマを付ける位置はどう決める?

(真山さん)最初に設計図というか、医師から説明があって、何処に付けるか話はできるみたいですが、緊急手術だったので勝手に造られていて、たまたま二つとも右ですけれども。ストーマには、イレオストミー(小腸のストーマ)、コロストミー(大腸のストーマ)、ウロストミー(膀胱のストーマ)もあって、それぞれ違った苦労があります。今後は他のストーマの勉強もしたいと思います。

◎とっても素晴らしかったです。今日本当にここに来ることができて何か凄く感動しました。でんでん虫の話と共通するのかも知れないって、ふと今思ったんですけど、力の源って何ですか?

(真山さん)表現させてもらえることですかね。そして、皆さんの笑顔が見られたりすることとか。何かが変わっていくのが見られるのが、凄く幸せで、楽しくて。よく言われるのが「痛みにフォーカスしない」。好きなことをやっている間は、病気だってことも、痛みも、歩くのが大変だというのも忘れる。何かに夢中になって忘れる時間を作れたら、その時はみんな一緒。でも家に居たら、四六時中「アイタタタ」と言ってます。コロナで家に居たら化粧もしないし、今日は久々に化粧しました(笑い)。人と会うことって大事。人からもらうエネルギーって、凄いなぁーって思う。あと自分だけじゃない「私もそうよ、ぼくもそうなんだよー」とかお話聞けたりすることも。一人じゃないというのが、凄く私の中では力強いものです。

◎(声優を目指す男性)パウチを付けて声の仕事に差し支えてしまったり、逆にお芝居をしていて外れてしまうことはなかったんでしょうか?

(真山さん)そうですね、舞台とか出る時は余り食べない。せいぜいおにぎり1個ぐらいにして。ただスタジオで一度漏れちゃったことがあって大変だったことがありました。丁度自分の出番が終わってたときで、いつもは持ち歩いているので貼り替えたりしているんですが、その時はあいにく持ってなくて。近くの大きな病院に駆け込んだんです。売店に装具が置いてなかったので「すみません、漏れちゃったんですけど、備蓄してあるもの、ちょっと頂けないでしょうか?」って言ったら、「あなたは普段どこの病院に通っていますか?」「順天堂大学病院です」。それは飯田橋で、もう一つ手前の病院でした。「うちの病院の人のためのものですからあげられません。売店でテープとかあるから買って下さい」と言われて、売店で取りあえず肌に優しいテープと濡れティッシュとか買って貼って。とにかく「早く終わらないかな」と。誰にも言えないし、もうーと言うことがありました。それからは、どんなに荷物があっても貼り替え用のものを持って行くようにしています。長時間出られなくなると危ないので、そういう時は残渣の少ない、チュルチュル吸うようなものを持って行って工夫しています。

腹筋がなかなか出来なくなったので、手術したばかりの時は、笑うとか大声を出すのが、とてもキツかったです。特にキツい役が多いので大変でした。今は大丈夫ですが。
2020年11月21日共に生きる会説明中
最後に、10月2日とその続編版として11月16日にNHKで放送されたエマ・大辻・ピックルスさんについて紹介しました。番組タイトルは「彼女が水着に着替えた理由 オストメイト医師の挑戦」で、このブログでhttp://tomoniikirukai.blog.jp/archives/8113047.html とhttp://tomoniikirukai.blog.jp/archives/8246880.html で内容に触れて書きましたが、ご存じじゃない方々にもぜひエマさんの思いを知ってもらいたいと思って話しました。ぜひクリックしてお読み下さい。

2回目の番組では、4歳の女の子が登場しました。この子は先天性の病気のため生後2日目にストーマになり、1回目の放送でパウチをつけた水着姿のエマさんを見て「私と同じだ」ととても嬉しそうでした。この日の参加者にも、生後まもなくストーマになったお孫さんを持つ方がおられました。先日紹介した若い女性オストメイトの会「ブーケ」の会報誌を送ってくださった方も、生まれて数日でオストメイトになったそうです。

赤ちゃんの時からずっとストーマをもっている人、エマさんのように大人になって病気でストーマになった人、女性特有の子宮筋腫などの病気でストーマになった人や腎臓を悪くして尿路ストーマになった人もおられて、年代も幅広くあります。今ストーマの人は国内で約21万人おられるそうですが、今後も増える傾向にあります。

これまでのブログで何度も書きましたが、いつ当事者になるかなんて先のことは誰にも分かりませんから、ストーマの経験者から学ぶことも大切ですし、オストメイトの人が困惑したりする場面を少しでも減らして、生きやすい社会にしていくためにも、それぞれの人が自分ごととして受け止めて、ストーマへの理解を広げていく発信基地になっていただければ良いなぁと願っています。

エマさんの仰っていたことで、最も強く印象に残っている言葉は、「人工肛門を恥ずかしいものではなく、生き延びてきた勲章にしたい。病気に打ち勝ってきたじゃない。そういう思いを共有できたら、辛かったことも、きっと生きてて良かったって思って貰えるかなと思います」です。

4歳の女の子が、大きくなった時に、いじめられるのをご両親は心配されていましたが、「生き延びてきた勲章だ」とみんなが認識するようになれば、きっと自分らしく前を向いて生きていけるでしょう。そういう社会実現への小さな一歩にこの催しがなれたのなら嬉しいです。

当日参加いただいた方から届いた感想を一部紹介させていただきます。
◎“共に生きる会”さん主催の「語りと映画で知るストーマのこと」、オストメイトのトイレマークは知ってはいたものの、実際のお話を聴くのは初めてで衝撃的でした。公表するのもどれだけの勇気が要ることか、、デリケートな部分を映画であからさまに、、絵と語りで愛らしく💖

あまりにも多くの病気と壮絶な戦い💦真山さんの不屈の精神力と明るく強く、そして精力的にしかも素敵に声優のお仕事やブーケの活動をされておられることに感動しました✨今回こういう機会を頂けて知ることが出来ました。ご縁に感謝です🙏貴重なお話をありがとうございました🙏

ぜひとも、多くの方に知っていただき理解と支援が広まり、共に生きやすい環境づくり、そして少しでも快適にご本人の苦痛が減ることを願いたいです。頂いた分かりやすい資料を周りの人へ、伝えていくお手伝いをさせていただきます🍀

次回は勉強して手話と声で朗読しますよ、、と仰って下さった真山さんと再会できることも楽しみにしています。ありがとうございました🙇

◎明るくて和やかであたたかな素敵な会だったなぁ~と思い出しています。手話のパンフレットも活用させていただきます。他の様々なパンフレットや冊子も仕事で参考にさせていただきます。最初の上映があったからこそ、当事者や現場のリアルを垣間見られた感じがして、自然とストーマやその介護・看護者の家族、専門スタッフのリアルを知ることができ、真山さんの講演前に前準備ができた気がします。

また、講演の中で真山さんが、(収録現場でストーマが漏れてしまったエピソードの際に)「でも誰にも言えないし…」と仰っていたことに、ちょっとショックを受けました。そうか、当事者が“言えない”社会を私たちは気が付かずにつくっているんだなぁ…と。内部障碍を抱えている方が、困ったときには気兼ねなく言えて、それを当たり前に受け入れられる寛容な社会をつくれるように何ができるかを改めて考えたイベントでした。

◎谷さんの『Home Nurse』は訪問看護がどのようなことをしているのかを広められる素敵な作品でした。看護師さんとヘルパーさんの仕事の違いとか、障がいをお持ちの方が子どもを持つことへの世間の厳しさなど、知っているようで知らない知識も混ぜてくださって、訪問看護の重要性だけでなく、いろんな病気をお持ちの方々への意識向上に繋がるのではないかと感じました。講演中もずっと手話でお話を続けてくださった谷さんならではの優しい配慮が活きた温かい作品ですね。せっかく手話ハンドブックも頂いたので、活用してお耳が不自由な方とも楽しくコミュニケーションが取れるようになれたら嬉しいです!

真山さんのストーマ物語は声優さんならではの安心できる優しい語り口と魅せるお声、岡田潤さんの温かくて可愛らしい水墨画がとってもマッチしていました。きっと大変な経験ばかりされたのだと思うのですが、その苦労を良い意味で感じさせない魅せ方で、前向きな気持ちでお話を聞くことができました。腹筋に力を入れて声を張り上げる声優さんのお仕事と、お腹で育っていくストーマちゃん達は時には扱いが難しいのかもしれませんが、その辺りもストーマちゃん達と向き合って上手くこなしていらっしゃるのがすごいです。

オストメイトの方達や手話について考えることができる、本当に素晴らしい機会でした。太田さんが最後に涙ぐみながら、お話しされている姿もとても印象的でした。このような優しさの輪が世界に届いていくといいですねあともう一つ、ストーマをつけながらモデルをこなされていたエマさんの考え方も素敵でした「ストーマは病気と闘ってきた勲章」そんな考えを持って、ストーマをマイナスに捉えずに皆さんが自分らしく生きられればいいなぁと思います。知らないとどうしても「大変なんじゃないの?」「ストーマなんて可哀想」みたいな無知ゆえの偏見みたいな意見なども抱いてしまいがちですが、ストーマについて知ってさえいれば、そういった偏見も少しずつ良い知識へと置き換わっていくのかな、と。今後、ストーマを知ってもらう活動が活発になれば良いですね


続けて、当日のアンケート用紙に書いて下さった感想もご紹介します。
・息子が同じような難病ですが、より深く気付くことがありました。ありがとうございました。
・ストーマのことをよく知らなかったので、お話や映画を見てよく分かりました。大変な病気の中で、元気に生きていらっしゃることを拝見して、良かったです。
・大変感動しました。微力ながら心から応援します。困難に負けず、生きてこられたにも関わらず、若々しく美しいのにパワーをいただきました。84歳で介護・看護の仕事をしています。もう少し頑張れる気がします。
・外観だけでは分からないストーマへの理解を深められた。知らされていないだけで身近な人にもおられるのかもしれない。
・去年身内がオストメイトになり、今回お話が聞けてよかったです。今までそんな機会がなかったのです。
・ストーマのことを世間の人に知ってもらうことは必要だと思います。この催しはとても良いことです。ありがとうございました。
・ストーマのことは知っていましたが、実際につけている方のお声を聞けたのが良かったです。真山さん、とてもステキな方でした💖代表の方の熱意やまっすぐな気持ちもすばらしかったです。
・初めてストーマを知りました。知ることができて良かったし、もっと沢山の方にも知って欲しいです。
・ストーマのことは今まで知らなかった。大事なお話を聞けて良かった。
・大変な病気なのに頑張っている方がおられるのだなぁ。感動しました。私も頑張ります。
・2本の映画、真山さんのお話、とてもよかったです。ストーマのこともよく知ることができました。ありがとうございました。
・催しを教えてもらって来なければ、自分からはTVでも見ないと思います。色々とても勉強させて頂きました。
・今までよく知らなかったお話をたくさん聞けて良かったです。ありがとうございました‼
・今、障害者施設でストーマの方がおられて交換等させていただいているので、とても参考になりました。あと、娘が声優を目指して頑張っているので、いろいろお話聞けて良かったです。
・ストーマについて知らなかったので、講演でお話聞けて良かったし、訪問看護のことも知ることができて、とても良い時間になりました。ありがとうございました。
・単純に楽しかったです。映画も見入りました。
・初めて知ることが沢山あって、当事者のご苦労はいかばかりかと…。感動しました。
・「人工肛門」と言う言葉は知っていましたが、詳しくお話を聞けて良かったです。
・手話通訳者がおられたので、内容を理解できました。
・生々しくて身につまされた映画でした。真山さんの話は感動した。
・大変な病気をされながらも、力強く生き生きされていて、すごいと思いました。本当にすごいです。
・知ることの大切さ、改めて認識できました。
・仕事が医療系で身近ではありましたから、とても大切なお話でした。ありがとうございました。
・具体的に知ることで、私の理解度が深まったと思います。
・勉強になりました。
・真山さんの自然体でいてパワフルに生きることや、“共に生きる会”の主旨もすばらしいと思いました。
・ストーマの実情を、生のお話で知ることができたので良かった。
・久し振りに真山さんの元気なお顔を見られて嬉しかったです。
・とても良かったです。“繊維筋痛症”の知人の活動支援をしています。手話ダンス、アカペラのパフォーマンスをしていて、真山さんと同じく「皆の前でパフォーマンスしている時は痛みを忘れる」と言っていました。活躍の場、大切ですね。
・母がストーマなので、聞きにきました。良かったです。
・真山さんのお話が聞けて、お顔を拝見できたこと、ストーマの知識が増えたことが良かった。

アンケートにお答え下さった方のうち、京都市内の方が22名、以外の方11名、不明1名で、東京、岐阜、滋賀、府内、大阪、兵庫からと、遠方からもお越し頂き、誠にありがとうございました。30代から80歳代までいろんな年齢層の方が参加して下さいました。

内容評価につきましては、①良かった32名②どちらかといえば良かった2名③どちらかと言えば良くなかった0名④良くなかった0名ということで、好意的に受け止めて下さったようで安堵しています。今後の活動への提案もいくつか書いていただきましたので、参考にさせていただきます。

最後に私個人の感想として、真山さんがスタジオでストーマが漏れて大変だった経験を話された時、自分が味わったかのような悔しさを覚えました。きっと切羽詰まり、すがるように、ストーマケアをしている大病院の看護師さんに依頼されたのでしょうが、にべもなく。そのことをとても残念に思います。こうした苦い思いをされることがないよう、臨機応変に困っている方には、優しく親切な対応をしてくださるよう切に願います。

エマさんはTwitterで「4歳の女の子のご両親とお話して、絶対叶えたい生涯の夢を見つけた。それは日本中の小学校でストーマについて講演すること。一人一人違うからこそ価値がある。自分の考えるmajority(大多数)と違うことでイジメたりするのは人として最も愚劣でダサいことだと、パウチを見せながら、まっさらな子ども達に伝えたい」とパンチのある呟きを書いておられました。

俳優の渡哲也さんが、今年8月10日78歳でお亡くなりになりました。1991(平成3)年自らが大腸がんで人工肛門であることを公表されたことで、「人工肛門」のことを知った方も多いと思います。私もその一人です。同じように国内で最初にストーマをつけた水着姿を披露したエマさんの勇気も凄いです。真山さんは2004年から今回のような啓発活動をされていて、その行動も勇気があり、素晴らしいです。お客様から「漫画家でエッセイストの内田春菊さんもだよ」と教えて頂きました。内田さんは2017年にオストメイトになったことを公表されました。

著名な方たちが前を歩きながら、ストーマのことをお話しして下さると、オストメイトの人たちの励みにもなり、一般の人たちの理解が進めば、生きやすい世の中になるはず。隠すものから病と闘って勝った勲章として誇れるものへ。そのように価値観が変われば、人の目を気にせず、堂々と温泉に浸かれる日も早晩やってくるでしょう。

この日は日本で唯一の装具メーカーの人も参加して下さいました。今のように透明なパウチから中身が見えないお洒落で肌に優しい安全で使いやすい、できればお手頃な値段のパウチが誕生すると良いですね。『あんたの家』のように、貧困とストーマ、そして老いが重なれば、誰しも生き辛い。自助を強調するばかりではなく、困っている人にこそ手を差し伸べる温かい政治であって欲しい。せめて私どもは、この日の学びも活かしつつ、コツコツと共に生きやすい環境づくりに尽力したいと思います。ご参加いただいた皆様、実施に際し多大なご協力を賜りました皆様に、心より御礼を申し上げます。ありがとうございました!!!!!
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13時の回に参加して下さった皆様と。
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17時の回に参加して下さった皆様と。

さて、真山亜子さんの手話での挨拶に続いて、本業の声優の話から。どのようなキャラクターの声をされているかというと、
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アニメ『ちびまる子ちゃん』のイケメンツートップの一人、杉山君の声で「やっぱサッカーだよな、大野」と実演を。
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これは、2021年版『ちびまる子ちゃん』カレンダーの前で。真山さんのサイン入り。「杉山君」と左上に書いてあります。この声のオーディションに合格したことから、反対されていたお父様が一転真山さんの活動を応援してくださることに。この話は後ほど語られます。

次は同じ『ちびまる子ちゃん』ブー太郎のお母さんの声で「お芋美味しいね、ブー」。25年位やっておられる長寿番組『忍たま乱太郎』のお母ちゃん役では「乱太郎、立派な忍者になっておくれよ、父ちゃんファイト!」の声を聞かせて下さいました。以前書いたエマ・大辻・ピックルスさんはご自分だけでなく、8歳のお子さんも「真山さんのこの声を聞いて育ちました」と真山さんとSNSで繋がったことを喜んでくださいました。耳からの記憶って時間が経過しても、意外と残るものなのですね。
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『ワンピース』のココロ婆さん役とニョン婆役も。さらに『こげぱん』役の披露に続いて、
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E.T.の役で。真山さんは2代目E.T.だそうで、DVDにもなっています。嬉しいことに、E.T.の声で「おもちゃ映画ミュージアム大好き」って言ってもらいました。
サザエさん
講演翌日の22日18時半から放送された『サザエさん』の「みんなで金婚式」では松田のお婆さん役で声の出演をされていました。意外にも、以前はこの声がコンプレックスだったのだそうです。でもこの声のおかげで、27歳の時にプロの人から「声優になってみないか」と声を掛けられたのだそうですから、分からないものです。マイナスをプラスに、「この声と出会って良かった」と真山さん。

さて、いよいよメインのお話「泣き笑いストーマ物語 真山亜子の場合」へ。作画は紙芝居の「あっこりゃまた一座」で一緒に活動されている岡田潤さん。この日お話を聞くまで、潤さんは、てっきり男性だとばかり思っていましたが、2004年に一座を旗揚げしたときは幼稚園児のお母さん、今ではその子が成人して社会人だそうです。ユーモラスで、明るい表現の紙芝居風ストーマ物語の始まり、始まり。
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左の小さいハート型が大腸ストーマちゃんで、大きいのが小腸ストーマちゃん。この子たちが急遽やってきたのが2002年3月24日日曜日のことでした。赤ちゃんに2、3時間毎にミルクをあげて、おむつを取り替えて世話をするのと同様に、ストーマも2、3時間毎にトイレに行かないと排泄物を入れるパウチがパンパンになって大変なことになります。赤ちゃんのお世話をしているのと同じだという思いで、こういう絵のような微笑ましい表現をされています。

43歳の時、(下痢と下血が酷くて入院した順天堂大学病院で)CTを撮ると教科書通りに腸に穴が開いているのがわかり、緊急手術。その時に医師から「もしかしたらストーマになるかもしれない」と言われましたが、ストーマとは何か説明を聞く間もなく。1回目の手術を終えてICUに入り、暫くするとアラーム音がして、やがてしびれが。
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看護師さんが「血圧測れません」と医師に言うのを聞いて、『ER緊急救命室』看護師ヘレエの吹き替えをしていた時の台詞が思い浮かんだそうです。それは重篤な場面の台詞だったことから、「このまま逝っちゃうのかなぁ、いやダメダメ」と思ったそうです。

それで2回目の緊急手術に。ご主人は「覚悟してください」と医師から告げられたそうです。全身麻酔を1日のうちに2回。お腹の縫ったところをまた開いて、この時にWストーマになりました。手術で10キロ以上体重が落ちて、32キロに。翌日看護師さんに鏡を見せて貰ったら、お祖父様が棺に入っていた顔とそっくりだったそうです。

岐阜県で生まれた真山さんは、高校1年の時から腰が曲がらなくなり、マット運動しても転げ落ちてしまう。右のお尻に硬いモノが出来ていたそうですが、腫瘍はレントゲンでは写らないので、原因がわからないまま、舞台女優をめざし、東京の大学へ進学。友人に勧められて静岡県三島で評判の先生に診てもらった折りに「先生、私おしり硬いんです」と言ったところ、初めて触診され、デルモイドという良性腫瘍だと判明しました。発見されるまで4年もかかりました。東大病院で赤ちゃんの頭ぐらいの大きさの腫瘍と筋肉を少しとり、右足を引きずるように。

舞台女優は難しいかな、と思っていた時に「声が面白いから、やってみれば」と声優を勧められたそうです、27歳の時でした。その後も壊死性筋膜炎で紅斑が体中に広がり、それを取ってお尻の皮を移植するなど体中傷だらけでしたが、声は変わらないので、仕事が続き、32歳声優で売れてきました。『ちびまる子ちゃん』のオーディションに合格し、映画にも声出演されたことで、勘当状態だったお父様が映画館でご覧になったそうです。映画館など行ったこともないお父様でしたが、劇場で娘の活躍を知ってさぞかし安堵され、嬉しく思われたことでしょう。

元々丈夫ではないのに無理を重ねておられたこともあり、31歳頃からだんだんと体調が悪化。微熱が続き、節々が痛み、しんどくて病院を受診しても数値には出ないという日々が続きました。27歳の時に壊死性筋膜炎の手術をしてもらった皮膚科医にもう一度診てもらい「病名が分かるまで帰りません」と訴えたら、「ツベルクリンをやってみるか」ということに。そうしたら、注射のあとが膿んで「ベーチェット病かな?」ということに。頭にブツブツとニキビ状のものができる毛嚢炎、目が葡萄膜炎といって充血してきたり、下血したりして、32歳の時にようやくクローン病とベーチェット病だと診断されました。いずれも難病指定です。

そんな中でも、「あなたの病気の面倒をみたい」という男性が現れ、めでたく34歳でご結婚‼ 助けてくれる人の存在は大きいですよね。ステロイドを飲んで病状が落ち着き、ご祝儀で仕事も次々で順調かと思われたのですが、43歳の時に先に紹介した1日に全身麻酔2回緊急手術に至ります。大腸20センチ、小腸1メートルを切り、コロストミー(大腸ストーマ)とイレオストミー(小腸ストーマ)との付き合いが始まりました。入院中に友人の勧めで「水原リン」から手術をしなくても良いように「真山亜子」に改名も(病気のとの縁は続いていますが、それから手術はしていないそうです)。

入院から1週間後「そろそろ自分でやりましょうね」と看護師さんから言われて、パウチの世話が始まりました。パウチは小腸と大腸の2枚。映画『あんたの家』の夫が「あっ、外れよる」と言ったようにパウチは外れやすいし、皮膚がただれるし、その頃は大腸から血や膿っぽいものが出たりしていたので赤ちゃん用のパウチを使い、本当に大変だったそうです(今は大腸からはそんなに出ないので、ガーゼを当ててるだけ)。

パウチ交換は1週間や2~3日に1回の人もおられますが、真山さんは合併症でストーマの周りに潰瘍が出来る壊疽性膿皮症になり、皮膚が弱いことから一日半が限度。装具代はお住まいの練馬区から助成があるそうですが、それでも間に合わないそうです。映画『あんたの家』が描いた貧困と病気の問題に直面している人もたくさんおられるのではないかと想像します。

最初はどういうタイミングで貼り替えたら良いのかよく分からず、漏れたら貼り替えるというときに、ピューッと出てきたりしたこともあるそうです。ストーマには括約筋がないので勝手に出てきます。それで1時間位お風呂場に籠もったり、首が下向いているから痛くなったりとか。今は慣れて15分位で出来るそうですが、少し慣れててきた半年後、食べて深い眠りに入ってしまい、パウチがパンパンになって「漏れちゃうよー」という悲鳴に気がつかず、間に合わなくてバッチャーンという失敗も。布団をダメにしたこともあり、今も防水シーツを敷いて寝ているそうです。

手術から1年後には形が安定してきて、人のいない時間に温泉にこっそり入ることも。真山さんは「ゆったり入ることを夢見つつ、(Wストーマちゃんと)一緒に生きていこうね。こうして皆さんと会ってお話しさせて頂くことが、私の元気の源」と語ります。

そして、手術から2年後の2004年に岡田潤さん一家と創作紙芝居一座「あっこりゃまた一座」を立ち上げます。潤さんのご主人でん介さんが当時幼稚園児だったお子さんと親子漫才をやり、その後、潤さんが書かれた絵と話を真山さんが語る活動でした。「仲間がいるってありがたい」と真山さん。ここまでが、2004年バージョンでしたが、私が講演を依頼したことで、その続き「ストーマちゃん物語Ⅱ」を今回創ることが出来たと喜んでくださいました。

さて、その物語の続きです。でん介さんのワゴンに乗って、潤さんの実家がある静岡や真山さんの実家がある岐阜などで紙芝居を上演。岐阜へ向かう途中、八ケ嶽SAで急に腹痛を起こし、救急車を呼んでもらい、「出来るだけ大きな病院へ連れて行って」とお願いし、甲府病院へ。「絶対治す 全集中」と紙芝居(今流行のアニメ『鬼滅の刃』無限列車編を早速反映)。レントゲンを撮ったら腸に穴が開いていなくて、尿路結石でした。とにかく痛い。翌日は紙芝居公演が待っているので、5時間点滴しても石が出ていないので、医師から水を沢山飲むよう言われて岐阜へ向かいます。実家に着く頃には石が出て無事紙芝居公演が出来たそうで、目出度し目出度し。ステロイドの副作用で骨が脆くなり、石も出来やすくなるのだそうです。

現在でん介さんはスポーツインストラクター、お年寄りのリハビリ体操をしていて、潤さんは水墨画と児童文学作家として活躍されています。今回はこの物語の絵だけでなく、次に朗読してくださる「でんでんむしのかなしみ」の絵も描いてくださいました。

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「真山亜子の体はボロボロ ケガと病気のデパートや」と言うことで、壊疽性膿皮症、尿管結石、腎盂炎、遠位性尿細管アシドーシス、左手首骨折、大腿骨骨折、肋骨骨折、脱水が羅列してあります。「病気やケガは現在進行形ですが、こうして会って、しゃべれていることが信じられない。ええ恰好しいなんでしょうか、人と会えていると元気でいられる。これからも語り続けます」と結んで講演は終わりました。続いて朗読です。
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新美南吉は、病気で27歳で亡くなりました。『でんでんむしのかなしみ』は、1935(昭和10)年、南吉が21歳の時の作品です。1998年インドのニューデリーで開催された「国際児童図書評議会」で上皇后美智子様が、このお話に触れて基調講演されたことで、知った方もおられることでしょう。「悲しみは皆背負っている。生きていくことは、楽なことではないが、悲しみを堪えて生きていこう」というメッセージは、真山さんの体験を聞いた後だけにしみじみ聞かせてもらいました。そして、このメッセージは、参加いただいた一人一人の胸にも響いたことでしょう。

谷さんがずっと手話通訳をしてくださいましたが、念のため『あんたの家』、『ストーマ物語』、『でんでんむしのかなしみ』の内容を書いた資料もお渡ししましたので、聾の方にもそれぞれの思いは伝わったことだろうと思います。

真山さんは、次々襲う大変な病との戦いの日々を、決して暗くなることなく明るくお話をしてくださいました。岡田潤さんの絵が明るくて、ユーモアもあり、可愛らしく描いてくださったことも大きいかと思います。互いを信頼しているからこそのなせる技。ステロイドの副作用で骨が脆くなっていると仰っていたことが心配です。楽しみなキャラクターの声を、これからもずっと聴いていたいので、どうぞくれぐれも健康に気を付けてケガのないように過ごしていただきたいです。

「貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました」と皆さんで両手を上に上げて、掌をヒラヒラして感謝の思いを伝えました。

11月21日(土)13時と17時から、「共に生きる会」最初の事業「語りと映画で知る『ストーマ』のこと」をしました。コロナ感染拡大が懸念される中でしたが、無事に予定通り開催することができて、ホッとしています。幸いにして穏やかな秋の日となり、換気扇だけでなく、玄関、裏口とも戸を少し開け放ち、通り庭を通して空気が流れるようにしました。後で聞いたところ当日ご講演いただいた声優・真山亜子さんは晴れ女だそう。私も晴れ女、お天道様が味方して下さったのでしょう。もちろん、消毒、検温ぬかりなく。

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最初にメンバーの紹介。右の谷進一さんが当会の副代表で、本業は訪問看護師ですが、上映した『HOME NURSE~訪問看護の時間~』の映画監督でもあります。毎年京都で開催される手話の映画祭に出品されていて、この作品も2月の映画祭で上映されました。俳優もされています。この日はずっと手話通訳をしてくださいました。谷さんにお聞きしたところ、通常派遣される手話通訳者は15分ごとに交替するのだそうですが、ずっと笑顔で通訳して助けてくださいました。

この日の催しには、オストメイトの方、聾の方、車椅子の方も参加してくださり、「共に生きる会」らしい顔ぶれで場を共有できたことも良かったです。中央におられるのが会員の藤岡一二三さん。本業はホームヘルパーさんですが、生活支援員や子ども食堂、博物館のボランティアなどで活躍されています。そして、マイクでしゃべっているのが代表の私、太田文代です。よろしくお願いいたします。

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最初に大腸がんでストーマになった夫と介護する妻キミ子が出てくる山川公平監督『あんたの家』を上映しました。この作品を上映したことで、監修をされたNPO法人ストーマ・イメージアップ・プロジェクト(SIUP)から①『人工肛門ってなに?』②ストーマ保有者の困った経験の実態調査報告書『あなたに知ってほしいストーマとともに生きること』③SIUPのリーフレットの提供を受け、参加者の皆様にお配りしたほか、サイトでの広報やチラシ配布にもご協力を頂きました。

「もう少し、ストーマイメージアップの前向きな映画が見られたら良かった」という感想も後で聞きましたし、腕の痣から虐待を受けていると思われる家出した女の子に「逃げて良い。けど、今は帰り」というキミ子の対応に疑問を感じた人もおられました。続けてキミ子は女の子に言います「そのうちな、ちゃーんと一人で生きていける方法が見えてくる。何か自分にできることが細い糸みたいに降りてくんねん。切ったらあかん。口でなんぼ言うたって、おかんにはあんたが必要やねん。家族の糸だけは切ったらあかんのや」と。この台詞は「なんもかも犠牲にして」とどこかで思っている自分自身に言っている言葉でもありましょう。

真山さんとメールしていて「貧しさに病気、ストーマなど重なると、悲惨な現実もあるという問題提起の映画なのでしょう。確かに(ストーマになったことで)終わったと思って、自死される方もいらっしゃいます。そういう意味では、イメージアップとはいかず、辛いけど現実を突きつけたものかもしれません」と書いて下さいました。
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2作品目の谷監督『HOME NURSE~訪問看護の時間~』の一場面。
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上映前後に谷さんが挨拶。
……訪問看護の仕事をしているので、そのことを知って欲しいなと思って作りました。1週間に1、2回人工肛門の利用者さんを訪れてストーマの貼り替えをします。『あんたの家』では妻が交換していましたが、一人暮らしの高齢の方には大変なので、僕たちが行って交換します。だいたいお風呂に入ってから交換します。今日は排泄物を受ける「パウチ」を持って来ました。休憩の時に見てください。いろんな会社がありますが、(写真で手にしておられるものは)1個500円位で、毎回替えるとお金がかかるので、皮膚の弱い人などは細長いタイプのものを使っておられます。下の部分は開いていて、そこを輪ゴムで括って使います。これが1個100円。これを貼り替えて使っています。

この映画は昨秋に作りましたが、その後で訪問先の聾の夫婦がポータブルトイレを借りていました。映画では、人のおしりに触れるものは借りられないと表現していますが、最近は借りられるトイレもあるように変わってきています。情報提供でした……
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『HOME NURSE~訪問看護の時間~』には、ストーマの人だけでなく、糖尿病の人、便秘の人、終末期の利用者さんも登場します。そして、その利用者さんや家族に聾の方も登場しますので、新人の訪問看護師さんが利用者さんと手話で会話する場面も多く描かれ、さらに分かりやすく字幕もついているので、誰にでも内容がわかる優しい短編作品です。

来年、谷さんは手話映画の新作を作る予定で準備を進めていて、秋に「共に生きる会」でも上映したいと考えています。そういうこともあって、今回、手話のリーフレット「日常よく使う手話イラスト50 やってみよう手話」を作りました(手前の女性が手にしてご覧になっているもの)。参加者の皆さんにもお配りしましたので、活用していただければ嬉しいです。
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イラストを描いてくださったのは、小川和久さん。子どもの頃から絵を描くのが大好きだったという聾の方です。スクリーンに映し出しているのは「共に」「生きる」「会」のイラスト。小川さんの「皆さん、一緒に勉強しましょう」という呼びかけで、両手の人差し指を前に出して「共に」
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両手をグーの形にして胸の前に、その両腕を真横へ引いて「生きる」(「元気」は似ていますが、両腕を真横ではなく上下に動かす)。最後の「会」は人部の形を両手で作ってから、左右斜め下に開きます。皆さんと一緒に勉強した「共に生きる会」の手話表現、微笑ましい時間でした。「イラストデザインは、『オリンピック』のように、いくつかのコマを、一つにまとめるのが難しかった」と小川さん。素人の様々な要望に快く応えてくださったおかげで、とても良いものが出来ました‼ 今後の催しでもお配りして、手話を広めたいです。

映画の中で、強制不妊の話が出てきました。かつて障害者は子どもを持つことができないとされた時代がありました。実は先日Facebookでドキュメンタリー映画監督下之坊修子さんが、龍谷大学の学生さんたちに『ここにおるんじゃけぇ』を上映された時の記事を読み関心を持ちました。来年5月始めに2回目の事業としてこの作品上映とトークイベントをしようと思っています。障碍故に、自分の意思ではなく不妊手術を受けた女性を追った作品です。

ストーマのことばかり気にしていたので、谷さんの映画を見ているつもりでも、この話は意識から漏れていました。うかつにも皆さんと一緒に見ていて、ハッとしました。「知る」ってことは大事だと思いました。私自身、正直に言うと、ストーマのことを余り知りませんでした。今回講演会をするということで、自分なりにいくらか勉強しました。外見からはわからないけれど、内部障碍を抱えた人がおられる、そういう人たちがひょっとしたら自分とすれ違ったところにおられるのかもしれないという想像力を働かすことが、とても大切だと思うようになりました。そういう意識を持てば、きっと行動も変わると思うのです。良いと思われることを知ったら、自分の糧にして、他者への働きかけにしていただきたいと思います。「ストーマ」への理解を広げるために、今日がそういう学びの場になれば良いなぁと思って企画しました。
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壁に掲示した3つの額では、真山亜子さんが2004年墨絵画家で児童文学作家岡田潤さんとそのご家族と結成した「あっこりゃまた一座」公演の様子を紹介しました。大腸と小腸のWストーマになった2年後のことで、ステロイドを30ミリ飲んでおられたので、その副作用でまん丸なお顔です。

額の下に並べたのは、東京の(株)ホリスターさんから送っていただいたカタログ『ストーマを造設された患者様へ』(消化官用と泌尿器用)とダンサックの『患者様向けガイドブック』(消化管ストーマ編と尿路ストーマ編)、コロプラスト(株)様から送ってもらった『ストーマケアと暮らしのガイドブック』(消化管・尿路ストーマ用)。6月に京都市内の病院でストーマの手術を受けられた方が病院でもらわれた資料であることから、事前学習にと送ってもらった資料です。参加いただいた方が、それぞれ自由にお手にとって持ち帰って下さいました。ストーマに関心をお持ち下さったことが分かり、このことも嬉しく思いました。

他にも休憩時間中に、真山さんが取材を受けた記事の数々や、谷さんが持参して下さったパウチなどのストーマ装具を実際に触れて見て貰いました。

さて、15分間の休憩の後、真山さんに登壇していただき「泣き笑いストーマ物語 真山亜子の場合」を語っていただきました。スクリーン下にスタンバイされた真山さんは、
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手話で挨拶をされました。「私の名前は、真山亜子です」。
真山さんと谷さん
実はこの日、谷さんと初対面の挨拶をされて直ぐに「手話を教えて下さい」と依頼されました。その成果を早速、お客様の前で披露されたのです。写真は世界共通の手話「I LOVE YOU」。
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「皆さんに会えて嬉しいです」。この後は「私の手話はここまでです」と手話で話されると、皆さんの中から温かい笑いが起こって、
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拍手が。谷さんが「拍手は両手をヒラヒラさせる」と言うと、手をヒラヒラさせて拍手を送っておられました。ひとつひとつ、簡単な手話から覚えていけば良いですね。真山さんは「私の手話が通じて嬉しかったです。良い機会をいただいたので、今後も手話の勉強をしていきたいと思います」と後で書いてくださいました。前向きな姿勢が、とても素晴らしいです‼



今朝、ふと思って、11月21日に体験をお話しして下さるベテラン声優真山亜子さんに尋ねました。「真山さんがストーマについて講演を開始されたのは、いつからですか?」と。共同通信配信記事で2019年11月5日付け京都新聞家庭面で掲載された連載㊳「病、それから」の真山さんプロフィールには「1958年岐阜県生まれ、東洋大卒。28歳から声優として活動。人気テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の杉山君役を始め、アニメや海外ドラマに声で多数出演。ストーマ体験を患者会などで積極的に語り、啓発活動にも尽力している」と書いてあり、いつからこうした活動をされているのかという点について書いてなかったからです。
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真山さんからの返事によれば、一番最初の講演は、国内唯一のストーマ装具メーカー、アルケア(株)さんからの依頼で、手術から2年経った2004年6月12日のことだそうです。その時の様子を特集したのが上掲写真の冊子。「第22回オストメイトの集い」で『泣き笑い ストーマ物語~ある日突然やってきたストーマちゃん あんたにゃまいった~』の演題で体験発表されました。

掲載されている写真を見て、参加者がたくさんおられることに先ずは驚きました。真山さんは、一緒に活動しておられる水墨画家・児童文学作家の岡田潤さんに「泣き笑いストーマ物語」(表紙写真左下)の絵を描いてもらって初めての講演に臨まれました。その頃は、ステロイド30ミリを服用されていたので、顔が副作用でパンパンだったとか。その後も入退院が続きますが、紙芝居の最後を増やしながら2015年まで10回くらい講演されたそうです。

今回は2020年版としてリニューアル、21日がお披露目です。「潤ちゃんには漫画チックに描いてもらっているので、そんなに辛くならずに聞いてもらえるだろう」とのことです。そして、新美南吉原作『でんでんむしのかなしみ』の朗読もあります。このあらすじについては、9月28日付けブログで簡単に書きました。プロの語り手によるお話の世界を、皆さんと一緒に味わえることがとても楽しみです。

真山さん12月公演チラシ表

真山亜子さん12月語り公演チラシ
12月5日には、真山さんは語りの会に出演されます。着物で登壇されるのでしょう。実は21日も着物で出演すると仰いましたが、コロナ禍の中を東京から重い荷物を持って来てもらうのを避けたくて、「洋服で」とお願いしました。「ストーマになっても着物が着られるんですね」と講演を聞きに来られたオストメイトの方が涙ぐまれるそうです。「そのためにも着物で」と主張された真山さんの思いをここで申し添えておきます。

「そういえば、これまでオストメイトさんの前で話をすることが多く、一般の方の前で話すのは初めてかもしれない」と真山さん。今回参加申し込みいただいた方の中には、お身内にストーマの方が居られた方も幾人かおられますが、ほとんどが一般の方です。私の希望は「ストーマのことを広く知ってもらいたい」ですので、その通りになりそうです。真山さんも「これからは一般の方にも聞いてもらえる機会が増えると良いと思います」と仰ってくださいました。先ずは、「ストーマ」って何か?どういうものか?を知ってもらうことが大切だと考えています。

前回、NHKの番組で2度に亘って紹介された医師でオストメイトモデルの活動も始められたエマ・大辻・ピックルス先生について書きました。エマ先生が水着姿になって、実際のストーマ姿を公開するという勇気ある行動は、ストーマ理解を進める上で大きな一歩になりました。真山さんも2004年からオストメイトであることをカミングアウトして、体験談を語ってこられたわけで、尊いことだなぁと思います。

国内には約21万人のオストメイトがおられて、そのほとんどが「知られたくない」と隠しておられます。けれども、エマ先生が仰るように「人工肛門は恥ずかしいことではない。病気に打ち勝って生き延びた勲章だ。誇りに思って欲しい」という意識に変わっていけば、今よりずっと生きやすい社会になるはず。そうした意識が広がれば、オストメイトに限らず一般の人々も、あらゆる場面で想像力を働かせて人に優しく接することが出来るのじゃないかと思うのです。

「いつ載るかなぁ」と楽しみにしていた若い女性オストメイトの会「ブーケの会」の会報誌を送って貰いました。会員手作りのお洒落で素敵な装丁です。全28頁に亘って情報が盛りだくさん。
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その貴重な冊子の紙面3ページを使って、大きく紹介していただきました。破格の扱いで、申し訳ないような気もしますが、とっても嬉しいです‼ 全国の会員約500名様のお手元に届けられました。これまで真山さんがストーマの体験談を語り続けてこられた功績ゆえの計らいでしょう。真山様、関係者の皆様、本当にありがとうございました‼ 

このほかに、当日参加して下さった方にお渡しできるように『オストメイトってなに?』の小冊子とリーフレットも寄贈して下さいました。重ねて御礼を申し上げます。この小冊子には、2003年腹膜炎の治療のためにストーマをつくって1年間過ごされた経験がある中井美穂さん(フリーアナウンサー)の体験談と真山さんからのメッセージも載っています。


「ブーケの会」で思い出すのは、京都市内にお住まいの原敬子さんのお話。

10月8日真山さんに教えて貰って、YouTubeチャンネル「がんノート」を見ました。この時のテーマは旅行で、オストメイトの原敬子さんがご自分の体験を話しておられました。53歳の時、自覚症状がないまま受けた検診で神経内分泌腫瘍という希少がん(10万人に6人以下)が見つかり、1年間で3回も手術をして欝状態になったそうです。

その後、「ブーケの会」に入った原さんは、とても明るい会員さんたちと和気藹々とおしゃべりし、食事を一緒にしたり、温泉にも旅行したりしているうちに、心の持ちようで異なると悟ったそうです。「ブーケの場が、救いの場になった」と話しておられました。これまで、イタリア、スペイン、台湾など海外旅行も楽しまれて、とても活動的です。お嬢さんの結婚式では、ストーマを保護して帯を締めて着物を着たそうです(「何か専用グッズがあるのですか?」と真山さんに尋ねましたが、紐の位置などを、それぞれが工夫されているそうです)。先にも書きましたが、着物姿になることはオストメイトにとって特別な意味があることなのですね。
真山亜子様写真1 - コピー

真山亜子様写真2 - コピー
一方、先日おしゃべりした人の親戚の男性はストーマになって以来、引きこもりになってしまったとか。他の人の話を聞いていても、どうも女性の方が切り替えが早くて、適応力がありそうですね。「ブーケの会」のような、男性が気軽におしゃべりできて、一緒に旅行したりするような救いの場って、あるのかしら?

原さんが仰っていたことのメモから。
◎楽しく、人のことは気にしない。もう後ろには戻れない。堂々と生きて欲しい。
◎ストーマになったことは不自由だけど、不幸ではない。
◎受け入れて、自分を責めず、笑い飛ばして、できることを見つけて。
◎明るく前向きに生きるのが、病気に打ち勝つことに。自分の好きなことをどんどんやっていくのが良い。
◎堂々としていると、他人の目は気にならない。

病を克服して来られた人の言葉です‼

10月2日NHK「ニュースシブ5時」の続編として、11月16日22:45から同局「ストーリーズ」で「彼女が水着に着替えた理由」として、医師でオストメイトモデルとしても活動を開始されたエマ・大辻・ピックルスさんが取り上げられました。前半は2日の放送を見ておられない方にも分かってもらえるよう、「ニュースシブ5時」の振り返りのような構成でしたが、後半は、その後の展開をエマさんに密着取材していました。
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病気のために昨年9月にオストメイト(ストーマ保持者)になった医師のエマさん。「究極の格好悪いものを、格好いいものと融合したら、マイナスのイメージを払拭出来るんじゃないか。他の人たちが諦めていること、私自身も諦めていたことを、もう諦めなくて良いんだよって伝えること。病気に打ち勝って来たじゃない。人工肛門を恥ずかしいものではなく、生き延びてきた勲章にしたい!そういう思いを共有できたら、辛かったことも、きっと生きてて良かったって、思ってもらえるかなと思います」と真剣なまなざしで語るエマさんの言葉に、とても感動しました。 

写真はオストメイトモデルとして活動するために、生まれて初めてビキニを来て小林正嗣カメラマンに撮影して貰っておられるエマさん。スラリとして、とっても美しいですね。

2日の放送では、国内唯一のストーマ装具メーカーであるアルケア(株)さんをエマさんが4度目の訪問をして、実際のパウチを装着した様子を見て貰いながら、海外のように中身が見えないパウチを作って欲しいと要望されていました。16日の続編によれば、アルケアさんはエマさんの提案を受けて、中身が全く見えないパウチを開発することを決めたそうです。エマさんの勇気ある行動が企業を動かしたのです。

2日放送後、番組には大変な反響があったようですが、多かったのは「ストーマについて無知だった」という声、体を張って状況を変えようとするエマさんの勇気を讃える声だったそうです。そんな中に「4歳の長女もストーマです。エマさんに会いたがっています」という家族からの声も寄せられました。エマさんは会いに行くにします。この女の子は、先天性の重い病気で、生まれた翌日にストーマを作ったそうです。

2日の放送でストーマを付けた水着姿のエマさんを見て、女の子は「これ、同じ。私だけだと思っていたけど、私だけじゃないんだって。袋っちがピカピカ(透明)だから、見えるのが恥ずかしい。でも、エマさんのは見えなかったから、エマさんのが良い」と言います。メーカーに提案したエマさんの意見に、こんな小さな女の子が賛同していますから、きっと国内に21万人もおられるオストメイトさんの希望でもあるでしょう。

2日の放送の1週間前に女の子が「何で私だけなの?」と尋ねたそうです。自覚したと分かったご両親は「この先娘が人工肛門だと分かったら、いじめられたりしないだろうか。今後直面するであろう数々の困難を思って、エマさんなら娘に勇気をくれるのではないか」と思って番組に連絡をされたのです。お母さんは「エマさんが堂々と同じ人たちに向けて、知らない人たちに向けて、一生懸命発信してくれることで、この子たちの未来は明るいんです。嬉しかったです」と語り、切実なご両親の思いが伝わってきて、心に響きました。

これまでオストメイトと会って話をしたことがないというエマさんは、「病気に勝ったから生きた勲章なんだよって、誇りに思って欲しいということが、4歳の女の子にどうやったら伝えられるだろうか」と悩みます。そして、ある贈物をすることにします。

「エマさん来てくれたよ‼」と玄関ドアを開けて、そこに会いたがっていた実物のエマさんが立っているのを見て、女の子はピョンピョン飛び跳ねて、全身で喜びを表しています。ハグする二人の様子に、見ているこちらも嬉しくなりました。良かったね、エマさんに会えて‼ 

二人は互いのパウチを見せっこ。「見えるのが恥ずかしいから、嫌だ」と女の子が排泄物に心を痛めていることを言葉にしたのは、この日が初めてだったそうです。「仲良ししよう!」と一緒にトイレにも行って、自分と同じストーマの人と出会えたことが嬉しくてたまらない様子で、女の子はとても楽しそう。

エマさんが用意した贈物は、女の子のパウチの大きさに合うよう工夫したシールや組み合わせて楽しくパウチをデコレーション出来るような可愛らしいシールの数々。これだったら中身が見えません。エマさんは嫌だったパウチの交換を少しでも楽しい時間にして欲しいと考えたのでした。「このバッグ(パウチ)があるから、こうして二人が会えたし、元気でいられるから。これからバッグ替えるの楽しくなるね」「うん」と女の子。良かった‼ お父さんは「いつかこの子も、エマさんみたいに堂々と強く生きて欲しいね」と話し、女の子は「また、エマさんに会いたいなって、気持ち」と言います。

エマさんは「自分が考えていることは押しつけがましいんじゃないか、ただの正論 正義じゃないかって凄い迷いがあったんですけれど、間違ってなかったんだっていうことを、(女の子と会って)とても励みになったし、感謝の気持ちしかないです。ストーマで生きていくことがチャレンジなんだと思うけど、そのおかげで、今まで見えなかったこと、考えなかったこと、見えなかった世界が見えて、出会えなかった人と出会えて、そして、それを得たことでハッピーに生きている人がいると言うことが伝わって欲しい。それはオストメイトの人たちにも、一般の人たちにも」と語ります。

女の子に会って背中を押されたエマさんは、小林正嗣カメラマンと海辺で水着の写真撮影。特別な光景ではなく、これが普通に見られるようになったら良いなぁと思います。大腸がん、潰瘍性大腸炎、卵巣がんなどで今後も増えると予測されています。万一オストメイトにならざるを得なくなったときに、ストーマが「恥ずかしい」と隠すものではなく、「病気に打ち勝って生き延びた勲章」だと思える世の中に、一日も早くなって欲しいと私も願っています。

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