


今朝の京都新聞の大きな扱いの記事です。執筆した岡本晃明記者は、これまでも陸軍731部隊が行ってきたことを調査して報道されていましたが、今回は熊本県合志市に今もある国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園で行われていたおぞましい人体実験に関する報道です。上掲のように1面、8面に全面特集、社会面にわたって大きく載っています。熊本日日新聞は1面と12面に関連記事が載っているようです。
京都新聞と地元の熊本日日新聞が情報公開請求したことに伴い、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園が開示。1942年12月に始まった人体実験に用いたのは写真の「感光剤」を合成した「虹波」と名付けられた薬剤。詳しい成分までは書いてありませんが、写真やフィルムの感光剤には銀が用いられていて、この銀が反応して黒くする作用があります。読みながら、これを投与された人たちに銀の中毒がなかったのかが気になります。
何より驚いたのは、公開された草稿に、患者を「材料」と呼んでいたことが記されていたこと。「満洲」にあった731部隊では中国人捕虜らを実験台にして、生物化学兵器開発の実験を繰り返し、彼らのことを「丸太」と呼んでいましたが、一体全体、人を何だと思っているのかと強い憤りを覚えます。第7陸軍技術研究所の研究嘱託だった宮崎松記園長(旧京都帝大医学部卒)が作成した「効果試験報告(概報)第1報」には、人体実験には6歳から67歳の入所者370人に「虹波」が投与され、9人が亡くなっていることが記されているそうです。6歳の子どもにまで投与していたというのは余りにも酷い話です。
ハンセン病は感染性が低く、海外では既に治療薬「プロミン」が開発されていたにも関わらず、日本は長く隔離政策を続けてきました。その間競うように各県は「無らい県運動」を継続し、差別の目にさらされた患者の人々は強制的にハンセン病療養所(全国に13箇所)に入れられ隔離されました。恵楓園のピーク時は1950年代で入所者が1700人を超えていたそうです。記事によれば戦後のハンセン病隔離政策を主導したのが先の宮崎松記園長で、投与の結果亡くなった人の解剖をした熊本医科大鈴江懐教授も京都帝大医学部卒、もう一人第7陸軍技術研究所嘱託だった同大学波多野輔久教授も京都帝大医学部卒で、「虹波」研究の人脈は、731部隊創設の石井四郎軍医中将同様京大医学部に繋がっています。
ハンセン病患者の人々を「材料」として扱い、「静脈注射、脊髄管腔内注射、吸入、座薬、服薬など投薬方法を手あたり次第に試している」というのも恐ろしい話です。資料が公開された機会に、何があったのか徹底的に解明して、こうしたことを二度と繰り返さない戒めにしてほしいです。
「共に生きる会」の第2回事業で強制不妊問題を取り上げたことから、ずっと関心を持ち続けていますが、今回の報道のような非人道的な行為が旧陸軍下で、しかも戦後の一時期までも続いていた事実に衝撃を受けています。