2024年7月4日強制不妊問題最高裁判決
既にご存知の通り、7月3日に最高裁大法廷で裁判官全員一致で、旧優生保護法下で不妊手術を強いたのは、法の下の平等を定めた憲法14条などに違反するとし、国に賠償するよう判決を下しました。一連の裁判では「除斥期間」を適用するか、しないかで判断が分かれていましたが、最高裁は著しく正義・公平に反するものとして、適用しませんでした。今後の裁判はこの枠組みによって審理されるので、本当に良かったです👏👏👏
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写真は、8月18日に上映するドキュメンタリー映画『沈黙の50年~国から子どもをつくってはいけないと言われた人たち~』の小林寶二さん。7月3日判決を前に東京に着いたばかりのスナップ写真。良い判決を期待して笑顔です。本当にここまでよく闘って来られたと思います。
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そして、最高裁判決で勝訴の決定を受けての写真。
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判決が出た後の報告会。大勢の取材陣が駆けつけています。「戦後最大の人権問題」とされる旧優生保護法下で行われてきた強制不妊手術問題。約2万5千人が生殖能力を失う重大な被害を受けました。この日、最高裁は4つの裁判については国に損害賠償を支払うよう命令し、除斥期間を適用して原告敗訴だった仙台訴訟については損害額算定の為審理を差し戻しました。本当に良い判決でした。まだ名乗り出ていない被害者の方も勇気をもって後に続いて欲しいです。そして、この問題では提訴した人ばかりでなく、広く救済と補償が受けられるようになることを願います。
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手話通訳者の姿が見え、大きなスクリーンに映し出される要約筆記も当該者の皆さんの理解を助けています。

たくさんのスクラップなので、後の振り返り用に順に貼り付けていきます。
2024年7月4日3面

記事の中で利光恵子立命館大学客員研究員は「差別を合法化した旧法があったからこそ、形を変えて優生思想が続いてしまった」と考え、「障害や病がある人を国が『劣等者』と決めつけ、各地で手術を推進したことで『障害者が子育てすることは不幸』という意識が隅々まで張り巡らせた」と指摘。障害の有無にかからわず、共に生きる環境が整備されれば『触れ合う機会が多くなり、友人や知人になる。まずそこから』と話しておられます。同感です。2024年7月4日社会面
今も京都府に152人、滋賀県に387人の強制不妊手術の被害者がおられると知った京都市出身の女性と滋賀県出身のご主人が、こうした人権をないがしろにしたことが再び起こらないようにと願って、自身の体験を語り、被害者の方たちに向け「ぜひ立ち上がって」と後に続くことを呼びかけておられます。

今回の裁判では、初めて手話通訳者を配置し、要約筆記もされるなど障害がある傍聴人のために過去最大規模で配慮がなされたそうです。裁判長の戸倉三郎長官の発言内容は大型モニター6台に映し出され、平易な言葉でゆっくりと読み上げられたとあるのも良いですね。傍聴席には12人分の車椅子スペースが確保され、法廷前には緩やかなスロープも設置されたそうです。

障害のある方も参加できる環境づくりは、誰にとっても居心地がいい場所に。

2024年7月4日夕刊と7月5日朝刊1面
7月4日付け夕刊と、5日付け朝刊。夕刊をとらない家庭が増えていますので、再度朝刊1面でカバーした記事。加藤鮎子・こども政策担当相が原告の一部の人たちと面会し、謝罪したという記事。原告の人たちは、首相による直接の謝罪や国会における謝罪、全被害者に対する補償法の制定、再発防止や偏見差別の根絶に向けた施策の実施などを要求したということです。
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この社説、文字が小さくて読みにくいかもしれませんが、可能な限り読んで頂きたいです。下から2段目の最後部分「優生手術の対象者は断種されて当然という考え方が法律や政策によって社会に浸透した」。小林寶二さんも2018年に強制不妊問題国賠訴訟で初めて旧優生保護法の存在を知ることになりましたが、それまではずっと親が悪いと思って恨んでこられました。「障害者が子どもを産んできちんと育てられるわけがない」「障害がある子どもが、また生れるかもしれない」、障害がある子どもを産んだ親も肩身が狭い思いをする、そんな考え方が社会に浸透した結果、障害や精神疾患、遺伝性疾患などを理由に多くの人が断種されても、その痛みに共感することなく見過ごされてきました。

手話を守った校長先生を描いた『ヒゲの校長』を上映した折りに展覧会をしましたら、全国各地から想像を超える人数の聾の方がお越しになりました。もう少し時代が先だったら、この方たちも強制不妊手術の対象だったかもしれないと思いながらみておりました。国会で「不良な子孫の出生を防止する」と旧優生保護法が全会一致で成立したのは1948年。それが母体保護法に名を改められたのは1996年のことです。実に半世紀近くも差別的な法律が存続しつづけました。「当時は合法だった」と国も、手術を決定した自治体も他人事のように放置してきましたが、今回の最高裁判決は旧優生保護法自体が違憲だと断じ、「除斥期間」に対しても適用しませんでした。
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昨年11月12日に強制不妊手術問題を考えようと映画『凱歌』を上映し、この問題について取材を続けている京都新聞森敏之記者に主に京都と滋賀についてお話をして頂きました。その折私が願ったのは、京都府知事が当時の手術記録を徹底して探すようにと言って下さることでした。先にも言いましたが手術が妥当か否かの判断は京都府に置かれた優生保護審査会(委員長は京都府衛生部長)が行っていました。国だけではなく、府の責任も問われてしかるべきなのです。時が経ち、廃棄されている懸念もありますが、それぞれの被害者の人生に思いをいたして、当時の記録がないか一生懸命探していただきたいです。

7月8日の報道では、北海道内在住の夫婦(妻80歳代、夫は5年前に死去)が30歳代の頃知的障害を理由に強制不妊手術を受けさせられたと訴えている裁判で、最高裁は旧優生保護法が違憲だと認めたうえで、「手術を受けたことを裏付ける証拠が提出されておらず、受けたと認めることが出来ない。人工妊娠中絶は経済的な理由で受けた可能性も否定できない」として、8日までに原告側の上告を退ける判決が確定したとのことです。

7月3日の最高裁判決は除斥期間適用を認めないなど画期的でしたが、これでうまくいくとばかりも限らないのですね。だからこそ、京都府知事には、府内の各施設や部局に真剣にこの問題に関する書類を探すよう指示して頂けることを願います。

なお、夕刊報道によれば、岸田首相は17日に原告ら関係者と面会すると表明しました。誰かが作文した文章を読むのではなく、心からのおわびを自分の言葉で話してもらいたいものです。

多忙でなかなか紹介できずにいた京都新聞のスクラップを遅まきながら紹介します。

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字が小さくて読みにくい人のために、左下に載っている全面解決をめざす全国連絡会共同代表大橋由香子さんの文章を書き出します。

見出しは「生きづらさ 強いた国策」

……国家の人口管理政策は、女性をターゲットにしてきた。戦前は「産めよ増やせよ」と、多産を求められた。敗戦後は引き揚げや復員による人口増加と食糧難を背景に、国家にとって「役に立つ」子どもを、人口を調節するために「少なく」産む役割を担わされた。こうした背景から1949年、「不良な子孫の出生防止」を掲げた旧優生保護法が制定された。

旧法問題を考える時に重要なのは、刑法の堕胎罪の存在だ。女性に産むかどうかの自己決定権を認めず、家父長制の価値観を維持するために母になることを求めた規定といえる。

旧法は堕胎罪の例外として「経済的理由」などによる中絶を認めた。非合法な中絶には危険が伴い、命の危機や逮捕の恐怖にさらされていた女性たちにとって、旧法は救いの意味があった。

一方、「不良な子孫の出生防止」という目的によって、障害のある子どもを産んだ女性を追い詰めた。「役に立つ子を産めなかった母親」というレッテルを貼り、生きづらさを強いたのではないか。

旧法が母体保護法になっても堕胎罪は110年以上存在し、国家の人口管理政策は続いている。例えば少子化対策の名の下、女性は産むべきだという圧力が高まらないよう注意が必要だ。産むか産まないかを自分で決められる社会。そして、産んでも、産まなくても、自分を肯定できる社会。そうした社会の実現を目指したい。最高裁大法廷の弁論で思いを訴えた宮城県の原告の女性に出会って27年になる。不妊手術だけでなく、産まない女性、子どものいない人を差別する世の中にも、原告たちは苦しめられてきた。「不良」と勝手に決めつけて心身を傷つけた国の責任を最高裁は公正に判断し、被害者の名誉を回復してほしい。……

「産んでも、産まなくても、自分を肯定できる社会」、そうありたいと頷きながら読みました。

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これは6月25日の京都新聞記事。国賠訴訟の原告、北三郎さん(活動名)や小島喜久夫さん、鈴木由美さん、飯塚淳子さん(活動名)、小林寶二さん、野村花子さんと太郎さん(二人とも活動名)の体験が紹介されています。「子どもができていれば人生は変わっていたと思う。今より幸せかもしれないし、不幸かもしれない。それでも幸せになるか不幸になるかは自分で決めること。自分で自分の人生を決めたかった」という小島さんの訴えが心を打ちます。花子さんは「優生保護法は障害者差別です」と大法廷の裁判官に訴えました。

願いは「障害があっても一人の人間として当たり前に生きられる社会に」。国には、杓子定規な「除斥期間」ではなく、それぞれの人が重ねてきた“無念な日々の期間”に思いを馳せて、「人生被害」を償う補償と謝罪を求めたいです。明日は、良い判決がくだされることを願っています。

沈黙~京都上映会(表)A

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昨年4月30日に、強制不妊手術を受けさせられた被害者のお一人、小林寶二さんの実体験をお聞きしに行きました。その折のことは、こちら の長いブログの後半部分で書いています。その日の午後、製作総指揮の大矢暹さん、小林さん、谷進一監督とお仲間の人たちが、映画製作に向けて話し合いをされ、それが順調に進んで、さる5月4日、JR新長田駅前の長田区文化センターで初公開されました。それが今回上映する映画『沈黙の50年~国から子どもをつくってはいけないと言われたひとたち~』です。

小林さんも国賠訴訟の原告の一人として闘っておられますが、最高裁判決が7月3日にでることが報道されました。国には被害者救出に向けて、良き判決を下してくださるよう期待しています。

その判決を聞いた後での京都での上映会になりますが、映画を観ることによって、こうした事実があったことを広く知って頂きたいです。5月29日付け京都新聞森敏之記者の連載でも紹介しておられましたが、新長田での上映会をご覧になった一人の聾の女性が「自分も同じ体験をした」と上映スタッフに語られたそうです。映像にしたことで、聾者の皆さんには、よりダイレクトに伝わったようです。映画『沈黙の50年~国から子どもをつくってはいけないと言われた人たち~』が、まだまだ名乗り上げることが出来ずに「沈黙の被害者」のままでいる方たちの背中を押し、そうした方たちも何とか救われるようになれたらと願っています。

映画は8月18日一日を使って、4回に分けて上映します。聾宝手話さんの広報のおかげで、既に10時からの第1部はほぼ満席です。続く13時からの第2部、16時からの第3部、19時からの第4部も順調にご予約を頂いています。

会場は元京友禅の型染をしていた築100年を超えている織屋建ての町家です。作業場だったホールは北に向いているのですが、真夏の太陽を受けて毎年暑さ対策が悩みの種です。エアコンだけでは不十分で冷風機などを設置していますが、できるだけ涼やかな服装でお越しくださいますよう宜しくお願いいたします。

今回初めて二胡の音色が天井が高い町家に響きます。長丁場なので、出演は2部と3部のそれぞれ上映後だけですが、どんな音色を聴かせてくださるのかとても楽しみです。演奏をして下さるのは、映画のエンディング曲を担当された「吉川組」(Ann Sakai &一圓尚都)です。

監督が当団体の副代表谷 進一さんなので、毎回彼自身の挨拶もあります。温かい人柄の谷監督の話しをお聞きになって、この問題への理解を深めてくだされば何よりです。

参加お申し込みは、会場のおもちゃ映画ミュージアム▼電話075-803-0033▼電子メールinfo@toyfilm-museum.jp▼ファクス075-803-0034のいずれかでお願いいたします。熱中症に気を付け乍ら、どうぞ飲み物持参でお越しくださいませ。

少しでも目で涼しさを感じて頂こうと、8月の展示は俳優が描かれた団扇展をします。こちらも珍しい展示ですので、お楽しみになさって下さい。ご来場をお待ちしております。

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