さて、真山亜子さんの手話での挨拶に続いて、本業の声優の話から。どのようなキャラクターの声をされているかというと、
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アニメ『ちびまる子ちゃん』のイケメンツートップの一人、杉山君の声で「やっぱサッカーだよな、大野」と実演を。
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これは、2021年版『ちびまる子ちゃん』カレンダーの前で。真山さんのサイン入り。「杉山君」と左上に書いてあります。この声のオーディションに合格したことから、反対されていたお父様が一転真山さんの活動を応援してくださることに。この話は後ほど語られます。

次は同じ『ちびまる子ちゃん』ブー太郎のお母さんの声で「お芋美味しいね、ブー」。25年位やっておられる長寿番組『忍たま乱太郎』のお母ちゃん役では「乱太郎、立派な忍者になっておくれよ、父ちゃんファイト!」の声を聞かせて下さいました。以前書いたエマ・大辻・ピックルスさんはご自分だけでなく、8歳のお子さんも「真山さんのこの声を聞いて育ちました」と真山さんとSNSで繋がったことを喜んでくださいました。耳からの記憶って時間が経過しても、意外と残るものなのですね。
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『ワンピース』のココロ婆さん役とニョン婆役も。さらに『こげぱん』役の披露に続いて、
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E.T.の役で。真山さんは2代目E.T.だそうで、DVDにもなっています。嬉しいことに、E.T.の声で「おもちゃ映画ミュージアム大好き」って言ってもらいました。
サザエさん
講演翌日の22日18時半から放送された『サザエさん』の「みんなで金婚式」では松田のお婆さん役で声の出演をされていました。意外にも、以前はこの声がコンプレックスだったのだそうです。でもこの声のおかげで、27歳の時にプロの人から「声優になってみないか」と声を掛けられたのだそうですから、分からないものです。マイナスをプラスに、「この声と出会って良かった」と真山さん。

さて、いよいよメインのお話「泣き笑いストーマ物語 真山亜子の場合」へ。作画は紙芝居の「あっこりゃまた一座」で一緒に活動されている岡田潤さん。この日お話を聞くまで、潤さんは、てっきり男性だとばかり思っていましたが、2004年に一座を旗揚げしたときは幼稚園児のお母さん、今ではその子が成人して社会人だそうです。ユーモラスで、明るい表現の紙芝居風ストーマ物語の始まり、始まり。
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左の小さいハート型が大腸ストーマちゃんで、大きいのが小腸ストーマちゃん。この子たちが急遽やってきたのが2002年3月24日日曜日のことでした。赤ちゃんに2、3時間毎にミルクをあげて、おむつを取り替えて世話をするのと同様に、ストーマも2、3時間毎にトイレに行かないと排泄物を入れるパウチがパンパンになって大変なことになります。赤ちゃんのお世話をしているのと同じだという思いで、こういう絵のような微笑ましい表現をされています。

43歳の時、(下痢と下血が酷くて入院した順天堂大学病院で)CTを撮ると教科書通りに腸に穴が開いているのがわかり、緊急手術。その時に医師から「もしかしたらストーマになるかもしれない」と言われましたが、ストーマとは何か説明を聞く間もなく。1回目の手術を終えてICUに入り、暫くするとアラーム音がして、やがてしびれが。
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看護師さんが「血圧測れません」と医師に言うのを聞いて、『ER緊急救命室』看護師ヘレエの吹き替えをしていた時の台詞が思い浮かんだそうです。それは重篤な場面の台詞だったことから、「このまま逝っちゃうのかなぁ、いやダメダメ」と思ったそうです。

それで2回目の緊急手術に。ご主人は「覚悟してください」と医師から告げられたそうです。全身麻酔を1日のうちに2回。お腹の縫ったところをまた開いて、この時にWストーマになりました。手術で10キロ以上体重が落ちて、32キロに。翌日看護師さんに鏡を見せて貰ったら、お祖父様が棺に入っていた顔とそっくりだったそうです。

岐阜県で生まれた真山さんは、高校1年の時から腰が曲がらなくなり、マット運動しても転げ落ちてしまう。右のお尻に硬いモノが出来ていたそうですが、腫瘍はレントゲンでは写らないので、原因がわからないまま、舞台女優をめざし、東京の大学へ進学。友人に勧められて静岡県三島で評判の先生に診てもらった折りに「先生、私おしり硬いんです」と言ったところ、初めて触診され、デルモイドという良性腫瘍だと判明しました。発見されるまで4年もかかりました。東大病院で赤ちゃんの頭ぐらいの大きさの腫瘍と筋肉を少しとり、右足を引きずるように。

舞台女優は難しいかな、と思っていた時に「声が面白いから、やってみれば」と声優を勧められたそうです、27歳の時でした。その後も壊死性筋膜炎で紅斑が体中に広がり、それを取ってお尻の皮を移植するなど体中傷だらけでしたが、声は変わらないので、仕事が続き、32歳声優で売れてきました。『ちびまる子ちゃん』のオーディションに合格し、映画にも声出演されたことで、勘当状態だったお父様が映画館でご覧になったそうです。映画館など行ったこともないお父様でしたが、劇場で娘の活躍を知ってさぞかし安堵され、嬉しく思われたことでしょう。

元々丈夫ではないのに無理を重ねておられたこともあり、31歳頃からだんだんと体調が悪化。微熱が続き、節々が痛み、しんどくて病院を受診しても数値には出ないという日々が続きました。27歳の時に壊死性筋膜炎の手術をしてもらった皮膚科医にもう一度診てもらい「病名が分かるまで帰りません」と訴えたら、「ツベルクリンをやってみるか」ということに。そうしたら、注射のあとが膿んで「ベーチェット病かな?」ということに。頭にブツブツとニキビ状のものができる毛嚢炎、目が葡萄膜炎といって充血してきたり、下血したりして、32歳の時にようやくクローン病とベーチェット病だと診断されました。いずれも難病指定です。

そんな中でも、「あなたの病気の面倒をみたい」という男性が現れ、めでたく34歳でご結婚‼ 助けてくれる人の存在は大きいですよね。ステロイドを飲んで病状が落ち着き、ご祝儀で仕事も次々で順調かと思われたのですが、43歳の時に先に紹介した1日に全身麻酔2回緊急手術に至ります。大腸20センチ、小腸1メートルを切り、コロストミー(大腸ストーマ)とイレオストミー(小腸ストーマ)との付き合いが始まりました。入院中に友人の勧めで「水原リン」から手術をしなくても良いように「真山亜子」に改名も(病気のとの縁は続いていますが、それから手術はしていないそうです)。

入院から1週間後「そろそろ自分でやりましょうね」と看護師さんから言われて、パウチの世話が始まりました。パウチは小腸と大腸の2枚。映画『あんたの家』の夫が「あっ、外れよる」と言ったようにパウチは外れやすいし、皮膚がただれるし、その頃は大腸から血や膿っぽいものが出たりしていたので赤ちゃん用のパウチを使い、本当に大変だったそうです(今は大腸からはそんなに出ないので、ガーゼを当ててるだけ)。

パウチ交換は1週間や2~3日に1回の人もおられますが、真山さんは合併症でストーマの周りに潰瘍が出来る壊疽性膿皮症になり、皮膚が弱いことから一日半が限度。装具代はお住まいの練馬区から助成があるそうですが、それでも間に合わないそうです。映画『あんたの家』が描いた貧困と病気の問題に直面している人もたくさんおられるのではないかと想像します。

最初はどういうタイミングで貼り替えたら良いのかよく分からず、漏れたら貼り替えるというときに、ピューッと出てきたりしたこともあるそうです。ストーマには括約筋がないので勝手に出てきます。それで1時間位お風呂場に籠もったり、首が下向いているから痛くなったりとか。今は慣れて15分位で出来るそうですが、少し慣れててきた半年後、食べて深い眠りに入ってしまい、パウチがパンパンになって「漏れちゃうよー」という悲鳴に気がつかず、間に合わなくてバッチャーンという失敗も。布団をダメにしたこともあり、今も防水シーツを敷いて寝ているそうです。

手術から1年後には形が安定してきて、人のいない時間に温泉にこっそり入ることも。真山さんは「ゆったり入ることを夢見つつ、(Wストーマちゃんと)一緒に生きていこうね。こうして皆さんと会ってお話しさせて頂くことが、私の元気の源」と語ります。

そして、手術から2年後の2004年に岡田潤さん一家と創作紙芝居一座「あっこりゃまた一座」を立ち上げます。潤さんのご主人でん介さんが当時幼稚園児だったお子さんと親子漫才をやり、その後、潤さんが書かれた絵と話を真山さんが語る活動でした。「仲間がいるってありがたい」と真山さん。ここまでが、2004年バージョンでしたが、私が講演を依頼したことで、その続き「ストーマちゃん物語Ⅱ」を今回創ることが出来たと喜んでくださいました。

さて、その物語の続きです。でん介さんのワゴンに乗って、潤さんの実家がある静岡や真山さんの実家がある岐阜などで紙芝居を上演。岐阜へ向かう途中、八ケ嶽SAで急に腹痛を起こし、救急車を呼んでもらい、「出来るだけ大きな病院へ連れて行って」とお願いし、甲府病院へ。「絶対治す 全集中」と紙芝居(今流行のアニメ『鬼滅の刃』無限列車編を早速反映)。レントゲンを撮ったら腸に穴が開いていなくて、尿路結石でした。とにかく痛い。翌日は紙芝居公演が待っているので、5時間点滴しても石が出ていないので、医師から水を沢山飲むよう言われて岐阜へ向かいます。実家に着く頃には石が出て無事紙芝居公演が出来たそうで、目出度し目出度し。ステロイドの副作用で骨が脆くなり、石も出来やすくなるのだそうです。

現在でん介さんはスポーツインストラクター、お年寄りのリハビリ体操をしていて、潤さんは水墨画と児童文学作家として活躍されています。今回はこの物語の絵だけでなく、次に朗読してくださる「でんでんむしのかなしみ」の絵も描いてくださいました。

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「真山亜子の体はボロボロ ケガと病気のデパートや」と言うことで、壊疽性膿皮症、尿管結石、腎盂炎、遠位性尿細管アシドーシス、左手首骨折、大腿骨骨折、肋骨骨折、脱水が羅列してあります。「病気やケガは現在進行形ですが、こうして会って、しゃべれていることが信じられない。ええ恰好しいなんでしょうか、人と会えていると元気でいられる。これからも語り続けます」と結んで講演は終わりました。続いて朗読です。
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新美南吉は、病気で27歳で亡くなりました。『でんでんむしのかなしみ』は、1935(昭和10)年、南吉が21歳の時の作品です。1998年インドのニューデリーで開催された「国際児童図書評議会」で上皇后美智子様が、このお話に触れて基調講演されたことで、知った方もおられることでしょう。「悲しみは皆背負っている。生きていくことは、楽なことではないが、悲しみを堪えて生きていこう」というメッセージは、真山さんの体験を聞いた後だけにしみじみ聞かせてもらいました。そして、このメッセージは、参加いただいた一人一人の胸にも響いたことでしょう。

谷さんがずっと手話通訳をしてくださいましたが、念のため『あんたの家』、『ストーマ物語』、『でんでんむしのかなしみ』の内容を書いた資料もお渡ししましたので、聾の方にもそれぞれの思いは伝わったことだろうと思います。

真山さんは、次々襲う大変な病との戦いの日々を、決して暗くなることなく明るくお話をしてくださいました。岡田潤さんの絵が明るくて、ユーモアもあり、可愛らしく描いてくださったことも大きいかと思います。互いを信頼しているからこそのなせる技。ステロイドの副作用で骨が脆くなっていると仰っていたことが心配です。楽しみなキャラクターの声を、これからもずっと聴いていたいので、どうぞくれぐれも健康に気を付けてケガのないように過ごしていただきたいです。

「貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました」と皆さんで両手を上に上げて、掌をヒラヒラして感謝の思いを伝えました。