2021年06月

6月6日にドキュメンタリー映画監督下之坊修子監督をお招きして開催した「映画『ここにおるんじゃけぇ』から強制不妊問題を考える」の講演に続く質疑応答の時間にも、内容の濃い話が交わされましたので、その中からいくつかご紹介します。
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毎日新聞記者の千葉紀和さんは、東京の科学環境部から京都支局に異動されたばかりだそうです。この催しのことがあると知って参加して下さいました。
2021年5月28日付け毎日新聞京都版 - コピー - コピー
新聞でも告知していただき、ありがたかったです。この記事に京都府内の被害者数や一時金支給法に基づく府内の認定者数が載っていますが、日程が合わずに参加出来なかった滋賀県優生保護法被害者情報公開請求傍聴支援に関わっておられる方から「京都では未だ優生保護法被害者の国賠訴訟はありませんが、訴訟が起きていないだけで被害者の方はいらっしゃいます。佐々木さんの『ここにおるんじゃけぇ』は一度観たことがあります。誰も排除されない社会をつくることへの社会に対する警鐘だと強く思います」とメールを頂戴しました。この「誰も排除されない社会をつくること」がキーワードだと思います。

「強制不妊 旧優生保護法を問う」 - コピー
上掲本を執筆されたお一人が千葉記者さん。『強制不妊 旧優生保護法を問う』は新聞協会賞・早稲田賞受賞作です。「2018年に被害者の方々が国賠訴訟を起こされ、その少し前から取材していました。被害者救済、一時金法に繋がったことではありますが、優生政策は世界的にいろんな国でもありましたが、21世紀目前の1996年までやっていたのは日本だけ。なおかつ被害者救済が2018年まではかられていない。メディアも含めてずっと放置してきたことなわけです。いろんな理由がありますが、被害者の方がなかなか声が挙げられなかったというのもあります。そんな中でも佐々木さんは初期の頃から声を挙げて可視化されていたわけですが、メディアは大々的に運動として取り上げることはありませんでした。漸く問題化して取り上げるようになったのが2018年だったということなんです。被害者の国賠訴訟が起きて一応救済法と言っていますが、たった320万円の一時金を支給する法律ができました。京都府内で言えば一時金が支給されているのが11人ですが、亡くなられた人もいるので、救済対象が何人なのかも分かっていないという状況です。11人が何%なのかさえ分からないような状況があるので問題としては終わっていません」。

「ルポ『命の選別』誰が弱者を切り捨てるのか?」 - コピー

続けて千葉さんは、「このルポ『命の選別』は優生保護法の取材をしながら『今も姿、形を変えてずっとあるけどなぁ』という思いをずっと抱いていました。科学技術を長く取材してきていて、出生前診断もどんどん新しい形で、しかもどんどんビジネス化していますし、優生保護法は不良な子孫の出生を防止するということですが、優生学的には優秀な人たちをつくるというのもあって、ゲノム編集とかいろんなことが技術的にできるようになってきています。新しい優生的なことがどんどん起きているというのが、被害者救済の裏で同時並行で実は起きているということに目を向けて貰いたくて本を書きました。

佐々木さんの強制不妊手術はひどいに決まっていますが、昔はそういうことがいろんな理由で『まぁしようがないね』とされていたわけです。後から批判するのは簡単ですが、リアルタイムだと何となく『しょうがないこともあるんじゃないか』ということになって、後々『とんでもなかった』ということになるので、今の新しいことにも、目を向けて貰いたいです」と話してくださいました。


ぜひこうした本を読んで、皆さんに「今の新しいことにも、目を向けて貰いたい」と思って千葉さんのお話を紹介しました。私は佐々木さんのことを知ってからずっと「なぜ、原爆が落ちた広島の公立病院の医師が、禁止されていたコバルト照射をしたのか?」と疑問に思っていたので質問しました。

下之坊監督は「医療者は力があるから、その人に言われたら受け入れるしかなかったと思う。罪悪感を持ちながらやっている医師もいるが、全く無知という人もいれば、分かっていてやっている人もいっぱいいたと思う。今の新しい技術で凄いことがいっぱい起こっているという裏の話を知ったら、ゾッとするようなことに、若い人が声を出しかけているところに希望を見いだしている」と語り、

会場の参加者から「コバルト照射は、実験的な要素があったのではないか?次の世代のガンマナイフとかに繋がっていくし、放射線治療にも繋がっていくから。確証はないけど、あの当時の障がい者に対する手術の時に、その人たちの体を使って次の実験をしたくなるのも医者です。その傾向はないのかなぁ? というのは、医学というのはいつも新しいものを求めて、新しいものを開発することによって大きな利潤を得ていく。経済的な困窮者を助けるのではなくて、医者としての性というか自分の知見をひけらかす、もの凄い名誉なことであるという欲望から、障がい者を使っての実験は様々行われていたと思う。今益々拍車がかかって行われていると聞いた出生前検査は、若い人には悩みの種になっていく。『ここにおるんじゃけぇ』のような映画を観たら、どのような子でも命だから生かしていきたいと思うだろうけど、若い子の中には、作られた社会の閉塞感とか、輝かしい社会はもう見られない中で、自分が育っていくというイメージがもの凄くマイナスになっているんじゃないかとも思う。

支援学級がもの凄く増設されている。地域の学校は統合されて減らしているが、支援学級だけはタケノコのように増えている。一方で障がい者に対する厚い支援、スキルを磨き、その子らしさの個性を磨くと言いながら、実は大きな分断で、見えなくしている。私たちは、多様な人たちが共にいる社会を望み、見える世の中にしたいのに、逆行している動きもある。それに到達するまでの意識を作ろうと思うけど、日常生活に紛れて、そこに行けないから余所ごとになってしまう。先の自分ごとなんだけど、今必要なことを必死でやるために、ほんの先のことでも余所ごとになってしまう」と話して下さいました。

発言された人は、福島の子ども達の甲状腺癌やコロナワクチンについてもその影響への心配を発言されました。その最後の言葉が印象的でした。「最新技術なのか、怖い技術なのか、知らず知らずのうちに野望の中の実験に私たちがいるような気がして仕方がない」と。一体全体、正しい情報がどれなのか分からず翻弄されている状況があります。
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この方の発言を聞いていて、4日に観た『一人になる』(高橋一郎監督)とその後のシンポジウムでの話をしました。医師であり、国家公務員であり、僧侶でもあった小笠原登さんは生涯「ハンセン病は隔離しなくても治る病気だ。隔離の必要はない」との考えを貫きました。患者の絶対隔離政策を推進するライ予防法や無ライ県運動を推し進めた光田健介がトップにいる1941年のライ学会で、医師たちはハンセン病が強烈な伝染病ではないとわかっていたにも関わらず、国の隔離政策に反対することになるので押し黙り、小笠原医師を孤立させました。後に光田健介は「救ライの父」として文化勲章も受章していますが、彼の誤りは明白です。シンポジウムで聞いたのは、光田医師はデータが欲しかったのだということでした。ハンセン病患者の命、生活の質よりデータを優先したのです。元ハンセン病患者が味わされた隔離や強制不妊手術の酷さは、ドキュメンタリー映画『凱歌』をぜひご覧下さい。

昨日26日付け京都新聞で沖縄のハンセン病元患者が国に対し損害賠償を求めて提訴したことが載っていました。差別を恐れて周囲に元患者であることを伏せ、ハンセン病に関する報道を一切見聞きしないようにしたため、国が和解金請求期限を2016年3月としたことを知らなかったそうです。こうして名乗り出られなかった人は他にもたくさんおられるでしょう。『凱歌』や『一人になる』を観た後だけに尚更お気の毒だと思わずにはおれません。

先のシンポジウムで高橋一郎監督は「草刈りしても草刈りしても根っこが残っている。それが優生思想だと思う」と仰っていました。この発言の後、舞台上で意識を失われ、救急車で運ばれた病院で急死されました。67歳、心筋梗塞でした。この言葉は監督の遺言だと思いました。監督の思いが詰まった遺作『ひとりになる』を、お近くで上映される折にはぜひともご覧頂きたいです。

先日、たまたま見たNHKスペシャル「未来への分岐点(4)」はゲノムテクノロジーの光と影でした。ゲノム情報によるデザイナーズベイビーが取り上げられていて、そこまで技術が進んでいるのかと驚きましたが、みんなで倫理的な議論ができないまま、技術が一人歩きしていくのではないかと恐ろしさを感じました。

そこに、今日27日の京都新聞1面には日本産科婦人科学会方針で「着床前診断の対象拡大」の見出しの記事が載っていました。これは体外受精させた受精卵から一部の細胞を取り出し、特定の病気に関わる遺伝子異常の有無を調べる検査法で、異常のないものを子宮に戻すため「命の選別に繋がる」と懸念する声があります。高橋監督が仰るように、技術の進化で、刈っても刈っても姿や形を変えて、優生思想が出てきます。根気強く、人ごとではなく、自分ごととして考え、機会を捉えて勉強していくことが、自分や家族、次世代を守ることになるから、見ない振りは止めた方が良いと思います。コロナ禍で今も様々な偏見や差別が起こっています。こんなときだからこそ、この映画を見ることが大切だと思いました。

下之坊監督は「メディアが大きな力に対してものが言えない状況ですが、最近上と思っていたら下の情報も出て来る状況になっているのは面白い。だけどそれが本当なのかと混乱する。自分たちも力をつけていくことが大事。自分たちの生活の中で確実な情報というのをみんなで共有できる状況が必要だと思う」と述べ、続けて、ある夫婦の話をされました。

「3人目を身ごもったとき、医者は『出生前診断を受けますか?』と聞いたので、夫婦で相談してNOと答えて、子どもを産んだらダウン症だった。自分たちで決めたことなのに七転八倒した。上の子二人とダウン症の子は何の違いがあるか?と問うたとき、自分にとって一緒やと思った。それで、みんなに『自分は子どもを検査しないで産んだらダウン症やった。どんな子どもが生まれても自分たちの子として育てると思ったけど、自分にそれだけの力があるかわからない。自信もない。どうしたらよいのかもわからない。だからみんな助けて』と呼びかけたら、みんなが『支援する』と応えてくれた。横の繋がり、周りの人たちがどのようにその人たちを支援できるかということも大きいし、私たち自身も力を付けて、変なことに対してはNOと言い、おかしいことに対しては『おかしい』と言う。『これって変ちゃう?』と言い合うことが凄く大事で、そういうことが言えない状況はいけないと思う」と身近な事例を挙げながらお話し下さいました。で、そのお母さんと最近会って「子どもはどう?」って尋ねたら「もう可愛くて、可愛くて💖」と話しておられたそうです。

下之坊監督には、障がい者を取り巻く前向きな事例をいくつも紹介していただきました。金子みすゞさんの「みんなちがって みんないい」、誰もが肯定される世の中にしていきたい。講演のテーマ「誰もがあたりまえに生きる社会」になるよう、謙虚に過去の失敗にも学び、一人一人が力をつけて、多様な価値観が認められて、当たり前に人生を全うできる世の中にしていきたいと改めて思った講演会でした。


アンケートから
・2歳下の弟が小児マヒで、その頃はヘルパーさんや生活保護もなく、小さい頃から重荷を背負い、自分に鞭打ってきた気がします。本人が一番大変ですが、親・兄弟も辛いです。
・zoomでなくて、生の声で聞けたのが良かった。
・場所が良かった。
・世の中にたくさんある不条理な怒りや悲しみを我が事として捉え共感する心の啓発(行動までは求めない)であれば、(筆者注:講演に参加したいと思う)対象層は広がるように思いました。大変考えさせられる映画と講演でした。ありがとうございました。

【後日追記】
2021年10月26日、上掲「ルポ『命の選別』誰が弱者を切り捨てるのか?」が、今年の日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞したと発表されました。ビジネス化が進む新型出生前診断の内幕、相模原殺傷事件の背後にある障害者福祉の実態、全国で相次ぐ障がい者施設への反対運動など、「命の選別」が問われる医学、生命科学、福祉などの現場を幅広く取材して、原題の優生思想を浮き彫りにした力作。ご縁を得た千葉記者さんの受賞を心よりお祝い申し上げますと共に、今後益々のご活躍を期待しています!!!

世の中全てがコロナ禍で様々な計画変更を余儀なくされていますが、私どもの2回目事業「映画『ここにおるんじゃけぇ』から強制不妊問題を考える」も例外ではなく、当初は5月8日の計画でしたが、思案の末、実施日を延期し、定員を通常より少なくして6月6日に開催しました。

実施から20日経ちましたが、お陰様で関係者、お客様全て平穏無事で胸をなで下ろしています。遅くなりましたが、当日の振り返りを。開場は14時。イベントのタイトルが、ちとハードに受け取られたのか予約が伸びず、もう少し、広く受け入れて貰いやすいものにすれば良かったという意見も後日頂戴しました。反省もしつつですが、昨年この問題をめぐって地裁で下ったいくつかの判決文を読みながら、除斥期間の適用など余りに当事者の人たちにとって理不尽なものだと思いましたので、先ずは問題の存在を知って貰いたいとの思いから、そのまま通しました。
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この日の講師のドキュメンタリー映画監督下之坊修子さんです。手にされているのは『忘れてほしゅうない』のビデオ。優生思想とネットワークという女性団体に参加している友人から「作って欲しい」という依頼があったのだそうです。「佐々木千津子さんという方が広島にいて、いつも『悔しい、悔しい』と言っている。集会でいくら言ってもなかなか埒があかんので映像にしようと思っている。一緒に作って欲しい」ということで、一年間話をし、どういう内容にするか話し合ったそうです。

『忘れてほしゅうない』のビデオは優生思想の歴史のことを分かりやすく、丁寧に映像化した作品で、まだご覧になっていない方はぜひご覧下さい。

この作品を作ったときに、下之坊監督は初めて佐々木さんと出会います。それまで障がいのある人たちとの接点が無かったので、まわりから「障がい者の人はかわいそうやから、あんまり表に出んほうが良いのになぁ」というのを聞きながら大人になったそうです。「頭では差別はしてはいけないということは分かっているのだけれど、実際自分の中でどれだけわかっていたのかなというのが凄くあって、仕事で佐々木さんと会ったとき、ちょっとびっくりした。障がいがある人が自分で着る服を選び、どこそこへいくと決めている。野球が好きなので『球場へ行く』という。『車椅子で球場行けんの?』と聞いたら『行けるようにするの!』と言ったので、『障がい者のくせに何なの』という差別的な気持ちがあったような気がする。でも何か自分が思っているのと違う。佐々木さんは私が思っていた障がい者像と違うと凄く感じられて、彼女とずっと接するようになった」と佐々木さんと出会ったときの印象を語ってくださいました。

私は下之坊監督が紹介してくださった広島カープの応援に車椅子で『行けるようにするの!』と佐々木さんが仰ったというエピソードに、最も強く佐々木さんの生き様が現れていると思い、感動すら覚えました。

私自身それほど多くの障がい者と接した訳ではないので、勝手な思い込みかもしれませんが、どこか遠慮して、いろんなことを我慢して生きておられるのではないかと思っていました。そうではなくて、健常者と同じようにできるように求めていく。以前授業で女性が働きやすいようにしていくことが、ひいては男性が働きやすいことになると教わったことがありますが、同じように障がいがある人が生きやすくすることは、健常者にとっても生きやすい世の中になることですね。

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『優生保護法が犯した罪』が出版された記念パーティーが東京で行われたとき、その撮影の為に監督も同行。行きは大勢一緒でしたが、東京からの帰路は下之坊監督と佐々木さんの二人きり。下之坊監督が大阪で下車したあと、佐々木さんは広島まで一人で帰られました。その車中で「何か面白いから第2段を作りたいねぇ」と話したそうです。
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『忘れてほしゅうない』のオープニングの言葉は、このDVDケース表に書かれた通りで、この車中で交わした会話から採録されました。佐々木さんは言葉が堪能で、「凄い表現者だなぁ」と思ったそうです。

4年くらい経って(途中で「あんた本当にやる気あるの?」と電話で尋ねられたこともあるそうで)、慌てて広島へ行ったら『忘れてほしゅうない』の頃の半分ぐらいに痩せて、言葉も本当に聞き取れないぐらいでした。「一瞬固まったけど、やるといったからには、やろう」と覚悟を決め、2008年からずっと広島通いをして、『ここにおるんじゃけぇ』の撮影を始められました。
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強制不妊手術のことで広島市民病院へ行きました。「記録が残っていないか」と言うのですが、「ありません」ということで前に進まない。佐々木さんもどうしようもないという状況でした。下之坊監督が毎月広島へ行って撮影していることで周りの人が「あの人何撮りに来とんのや?強制不妊のこと何も動いていないのに何撮んねん?」と言われていると耳に入りましたが、下之坊監督は「強制不妊手術のことが社会的に動く動かないだけじゃなくて、佐々木さんを撮りたいと思っているのだから、いいや」と考えて続けられました。佐々木さんは意外といい加減なところもあって、いろいろ企画が提案されるけどドタキャンになることもあり、結局毎日買い物に行くか病院に行くかの映像しか撮れず、結局『ここにおるんじゃけぇ』は広島から一歩も出ていない作品。佐々木さんは「私の日常を撮ってくれ」といい、監督は「それを撮るから自分をさらけ出して」ということで、二人で話し合って、淡々と日常を撮影することを繰り返されました。

映画で大手電気屋さんでの買い物風景が出てきますが、お店の人たちは佐々木さんの顔を見ないで介助の人に「これですか?」と尋ねます。佐々木さんが「それです」と言っても知らん顔をして答えを介助者に求めます。そういうことが多々ある中、佐々木さんはいろんなことを感じ取ってある意味戦っているという感じがしたそうです。一方「佐々木さん、今年のカープはどうかね?」「いやーあかん」という会話を交わす人もおられます。はなから「障がい者だから」という目で見る人もおられます。はちゃめちゃな面もありますが、意志の強さ、あとすごく優しいというか、神経が細やかなところもあって、そんなこんなで1年間広島通いが続きました。

2012年6月に佐々木さんは『ほっとしてほっ』(ゆじょんと)を出しました。佐々木さんは就学免除で学校へ行っていませんが、家で自分で勉強をして本や新聞を読んでいました。撮影開始と同時にネコちゃん言葉ですが、エッセイを書き始めました。深い言葉を書く人で本を出したいとずっと言っておられたので、たくさん書いた中から選んで自費出版されました。

その間、『ここにおるんじゃけぇ』が2010年に完成。以前から佐々木さんはリバティ大阪のイベントや講師を務めるなどの繋がりがあったことから、リバティ大阪の学芸員さんから「完成したら第1回上映をして欲しい」と言われていたので、そこで初上映。お風呂のシーンもあるのですが、その場面を入れたのは、一緒に関わっていた脳性マヒの人が「我々はずっと身体を笑われていたから『どや、この体で生きてんじゃ』という映像を出した方が良いんじゃないか」と勧められたからだそうです。

2回目の上映は広島のNPO法人障害者生活支援センター・てごーす主催でイベントホールが一杯になったそうです。ネット検索すると、障がい者が自分らしく生きていくために必要な情報提供を行い、介護派遣を通じて自立生活をサポートする活動をされている団体で、そのルーツは1977年に結成された「日本脳性マヒ者協会広島青い芝の会」だそうです。「てご」は広島の言葉で「手伝い・手助け」の意。山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映され、どこの映画祭でも上映されるときは佐々木さんが必ず見に来てくださったそうです。

2013年山口県周南市で行われた優生思想についての勉強会から帰る途中、佐々木さんは急に気分が悪くなって熱中症のような症状になり、嘔吐物を喉に詰まらせ、窒息死のような感じだったようです。救急車で運ばれた病院のあろうことか分娩室で息を引き取りました。強制不妊手術を受けさせられ、子どもが欲しくても生めない佐々木さんの最期が分娩室という皮肉、何とも悔しい思いです。「広島青い芝の会」副代表が「さよならを言って6時間後に亡くなるとは思いも寄らなかった」とコメントを出されたそうです。

佐々木さんが亡くなった後、「何か残したいね」と言うことになって何人かで『ほおじゃのおて』(2014年8月31日、てごーす)という追悼文集ができました。表紙に使われてるメモリアルキルトは、佐々木さんが着ていた洋服で作られたのだそうです。いろんな人から寄せられた内容の濃い文集です。

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お葬式の時にお兄さんが来られて「千津子は家を出てしもて、全然帰って来なかったけれど、こんなにたくさんの人たちに関わって貰って生活していたんやなと思った。そういう意味では千津子は幸せやったんやな」と挨拶されたそうです。

「何で強制不妊手術なんかできるんや」という疑問があります。その歴史を振り返ると、100年ぐらい前からヨーロッパやアメリカ、カナダなどで病気や障がいを持つ人を生まれないようにしようという考えが広まっていて、1940年に当時のドイツの断種法などに倣い日本でも「国民優生法」ができて、遺伝性の障がい者に不妊手術をしても良いことになります。戦後それが1948年に「優生保護法」になって、「不良な子孫の出生を防止するため」と謳って対象を広げ、障がい者やハンセン病の人に不妊手術や中絶をしても良いことになり、強制的に不妊手術をしても良いということに。

そんな中でも、コバルト照射はいけないことになっていたのですが、佐々木さんは広島の病院でコバルト照射されて強制的に不妊にさせられました。そういうことが50年ほど続き、1996年「母体保護法」ができて「不良な子孫の出生防止」の文言や強制的な不妊手術の条文がやっとなくなりましたが、この間に行われた本人同意なしの不妊手術は分かっているだけでも16500人がその犠牲になり、そのうちの7割が女性でした。それでも強制不妊手術をされた人はなかなか声が出せないでいました。

佐々木さんは『忘れてほしゅうない』の時に、実名と顔を出して訴えましたが、世の中にはまだ「何のことだ」となかなか受け入れて貰えませんでした。その頃『忘れてほしゅうない』にも登場する仙台の飯塚淳子さん(仮名)が自分で「何かおかしい」と思って調べていきます。けれども、前後の年の記録があるのに自分が手術を受けた年の記録が見つかりませんでした。飯塚さんも辛い思いをしながら言い続けていましたが、女性団体の人たちと関わる中で新里弁護士と出会います。別件で相談していたところ「実は私ね」と強制不妊手術のことを話したそうです。弁護士さんは「知らなかった‼」といろんなことを調べてグループができて、飯塚さんを支援する活動が始まります。

2015年やっと日本弁護士連合会に人権救済の申し立てを行う事にこぎ着け、この動きをメディアが取り上げたので、いろんな人の目に付くようになりました。そこで1つは仙台の人が自分の義理の妹が強制不妊手術を受けたことをお母さんから聞いているので、おかしいと思い記録を調べたら記録が見つかりました。それで仙台地裁に提訴することができましたが、結果的に手術が行われてから20年以上経っているので除斥期間が過ぎているとして、賠償請求権は消滅していると棄却されました。その後の裁判もずっと敗訴が続いています。

「せいぜい2019年に一時金320万円ずつ払うということになったが、ないよりはマシとは言え、そのことで自分の人生がぐちゃぐちゃにされたのに、たったそれだけか!それを決めた人の給料はなんぼや?と思ったりする今の現状です」と下之坊監督。思わず首を縦に振って頷きました。
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後半では、佐々木さんが下之坊監督に残してくれたことについてお話をされました。これまで『ここにおるんじゃけぇ』をいろんなところで上映してこられましたが、その中の一つ、鳥取市のNPO法人夢ハウスで小柴千鶴理事長が上映して下さった折には、佐々木さんも同行されたそうです。ネット検索すると、障がい者や高年齢者などが、そうでない人びとと共に暮らす社会が正常であると考え、障がいの種類や程度にかかわらず、自ら居住する場所を選択し、必要とするサービスや支援を受けながら、自立と社会参加の実現を図っていくことを基本に活動されている団体のようです。

その小柴さんから「私のこれまでの集大成になる映像を作りたいから関わって欲しい」と依頼されたのだそうです。小柴さんは30歳前に筋ジストロフィーになって、それから生きる、死にそうになるを繰り返しながら、ヘルパーの会社を設立し、NPO法人夢ハウスも設立。今は指先だけが動くのでマウスで操作したり、言葉でパソコン変換してメールでのやりとりができるそうです。その小柴さんは「介護される人の気持ちが自分は分かるから、それをちゃんと伝えたいし、本当に自分が受けたしんどかったことを伝えることで、これから介護しようとする人たちの一つの参考となったら良いし、世の中の人にも伝えたい」と希望されました。動き出そうとした矢先にこのコロナ禍。撮影ができない日々が続いていますが、構想はできていて、いつでも撮影に行ける状態だそうです。

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もう一つ、『ここにおるんじゃけぇ』をご覧になった大阪府河内長野市の障がい者団体から25周年記念ビデオの製作を依頼されているそうです。障がい者や筋ジスの人たちが「お金が欲しい、働きたい、親から離れたい、一人で生きたい」というところから障がい者の人で立ち上げた団体で、皆共に働き、フラットな関係の中で仕事をし、入ったお金は平等に分配。撮影した会議の様子は、実に丁寧に人の言うことを聞きながら前に進めていく姿勢だったそうです。町の中にリサイクルショップも運営されていて、店を開けるときは手伝って貰うけれども、途中から脳性マヒの人が一人で店番。店に来る人たちは、それを良しとしてしていて、地域の中で障がいがある人たちが普通に生きていることがわかる素敵な事例です。

昨年は京都市内にある大学のゼミ合宿で、『ここにおるんじゃけぇ』を見た後でディスカッションするので、それに参加してコメントして欲しいと担当の先生から依頼されたそうです。学生さんたちは自由に感想を述べあい、「いやや、そんな障がい者産むなんて」という学生がいたり、「差別をしているわけじゃないけど、生きていくのが大変だから」という意見などいろんな意見が出ました。その後送られてきた感想文の中に海外からの留学生のものがあり、それを本人の許可を得て読み上げてくださいました。

「私の国ではお腹の中で障がいがある子を産むことは許さないし、無責任なことだと決めつけられている。それは障がい者に偏見があるのではなく、その人たちに苦しく生きて欲しくないと思っているだけです。その人たちを苦しませたのは、その人たちの親でもなく、その人自身でもなく、周りの人です。私は周りの環境によって、こういうことすら気付かなくて、ただ産まないことはあたりまえのことだと決めつけるのは恥ずかしいことだと思います。私が生まれる前も、産むかどうか親はかなり悩んだらしい。お母さんのお腹の中に双子ができて、一人が死んでいると医者から言われて、薬を飲んで堕ろすんですけど、もう一人が死んでいないと分かった。薬を飲んだから絶対障がい者になる可能性が高いので、みんなに産んだらダメと言われた。でも母が私のことを諦めたくなくて今の私が生まれました。幸いにごく普通の人として生まれました。でも、もし私が普通じゃなかったら、今の私はどんな感じでこの世の中を見ているでしょう?どんな生活を送っているでしょう?もしかしたら生きることを諦めているんじゃないかと思います。もし、この合宿に参加しなかったら、このままずっとこのような考えを持ってしまうでしょう」と綴られていました。

その後、彼女はいろんな勉強会に参加し、今後は大学院に進学して出生前診断について自分の国と日本との比較をしたいと言っておられるそうです。出生前診断は、生まれる前に人間の良か不良かを振り分けること。そういうことが新しく起こっています。下之坊監督は「次の世代の人たちに受け継がれていることを私は本当に嬉しくて、これはきっと佐々木さんが残してくれたことだと思っています」と述べ、最後に引きこもりの支援をしている大阪府高槻市のNPO法人ニュースタート代表高橋さんの文章を紹介されました。

「佐々木千津子さんは社会が設けた障がいをもろともせず、いろんなところへ出掛けていきました。それは多くの人が羨ましく思うほどでした。障がいとは何でしょうか?彼女にとって障がいとは何だったのでしょうか?それは脳性マヒなんかではなく、強制不妊治療を始めとする優生思想に代表される健常者の都合の良い理解だったのではないかと考えます。そして、過ちについて誤ることのできない社会は、今も様々な形で現れており、障がいはそこかしこに溢れかえっています。障がいを前に抗い続けた佐々木千津子さん、その姿は生きながらえたのではなく、生きた人としてこの映像に訴えるものを感じました。」

下之坊監督は「私が一番嫌なのは、人ごとに済ませてしまうこと。そういうことをさしている社会の一員でもあるという自覚がすごく大事。自分に何ができるか、自分のこととして捉えることが一番大事なことだと最近感じています」と結んで講演を終えました。
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コロナ禍でもあり、参加者が少なくて申し訳なかったのですが、この後の質疑応答の時間も内容が濃くて、とても有意義な時間でした。当日参加出来なかった人たちにも読んでいただきたいと思い、長文の振り返りになりました。お時間があるときにゆっくり読んでいただけたら幸いです。

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今朝の京都新聞に、6日(日)14時から開催する上映とトークイベントのお知らせを書いていただきました。上映する作品はドキュメンタリー映画『ここにおるんじゃけぇ』で、お話をしてくださるのは、この作品の監督である下之坊修子さん。映画の主人公佐々木千津子さんは広島の人でしたから、タイトルは広島の言葉。

今、下之坊監督は、この映画が縁となって「手帳のある人もない人も共に働く作業所」の素敵な日常を送っている人たち、筋ジストロフィーで何度も死と直面しながらも、自分だからできる介護の仕方の映像作りにチャレンジしている人たちのことを制作中だそうです。

私がこの作品のことを知ったのも、昨年監督が書かれたFacebookの記事でした。昨年龍谷大学で行われたゼミ合宿でこの作品が上映され、参加した大学生さんたちの感想がいくつか紹介されていました。1本の映画が若い感性に訴える力の大きさに心が揺さぶられ、ぜひ上映会とトークイベントをして欲しいと依頼しました。丁度、各地で強制不妊問題の地裁判決が下った時期とも重なり、にわか勉強でしたが、当事者たちの置かれた立場、無念さを思うと、これは人ごととして見ない振りをしていてはいけないと強く思うようになりました。

下之坊監督は綴ります「強制不妊手術のこと。どんな人であれ『不良な子孫の出生を防止する為』と言って強制的に不妊手術をして良いはずがない。そんなことは許されない。佐々木さんを振り返っていて、改めて怒りと悔しさがこみ上げてくる。それにしても、愉快な佐々木さんにぜひ出会ってください」と。

私からも「ぜひ佐々木千津子さんに出会ってください」とお願いいたします!!!!!
明日大雨になると天気予報が言っていましたので、急いで図書館に走り、本を2冊借りてきました。本業が多忙を極めており、それでなくても遅読なので、とうてい6日までに読み終える自信はありませんが、少しは予習しておこうと思います。
「強制不妊 旧優生保護法を問う」
1冊目は、5月28日付け毎日新聞京都版で、今回の催しの紹介記事を書いて下さった千葉紀和記者さんもメンバーだった毎日新聞取材班『強制不妊 旧優生保護法を問う』(2019年3月30日、毎日新聞出版発行)です。キャンペーン報道「旧優生保護法を問う」は2018年度新聞協会賞・石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞に輝きました。
「ルポ『命の選別』誰が弱者を切り捨てるのか?」
もう1冊は、昨年11月30日に出版された『ルポ『命の選別』 誰が弱者を切り捨てるのか?」。2019年4月からキャンペーン報道「優生社会を問う」を基に書かれたもの。

「まえがき」で千葉さんは「強制不妊の人権侵害は放置され続けてきた。異常さに気付かなかったのは、メディアも同罪だ。命に優劣をつける線引きは、時代の空気や価値観によって容易に変わりうる。誰にとっても他人事ではないはずだ。過ちを繰り返さないよう、同時代の問題に向き合いたい。それが、メディアに籍を置く者の責務だと信じて」と書いておられます。

5月24日に内閣官房参与高橋洋一なる人物が参与を辞任しました。国内の新型コロナウイルス感染状況を「この程度の『さざなみ』。これで五輪中止とかいうと笑笑」などとTwitterで投稿したとんでもな御仁。全く人の命を軽んじていて、こういう人をアドバイザーにしていた現政権は、国民の命よりも何が何でも五輪開催ありきで突き進んでいます。社会的弱者への共感性は微塵も感じられません。

ならば、私たち一人一人が何が問題かを知り、「これは誤っているよ」と思われることに対して、記者じゃなくても声を上げていくことが大切だと思います。6日はその第1歩になれたら良いと思っています。



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